Archive for the ‘ 読書リスト ’ Category

2016年12月の読書リスト

はいはいはい、2017年になってから一ヶ月半が経過しようとしていますよ。

生活困窮化から抜け出せる兆しは全く見えず、余暇の時間はネット・リアルとも「引きこもり」生活を送っているうちに、ブログ更新の意欲もなくなってしまった。外部の刺激がなくなると、創造生活〈というのもおこがましいが〉に重大な影響を与えるとは、思ってもみなかった。

過去に自分の記事を読んで感じることは、頻繁に外出していた頃の方が、自分でもそれなりに納得がいく文章が書けていたな、ということ。量はさておき、質という視点から見ると、その頃とは比較にならないほど落ちていると言うことがわかる。書いている当人が言うのだから、この駄文をわざわざ読んでくださる皆さまはなおさらそう思っているに違いない。

政治?

安倍政権?

トランプ?

何それ?もうええわ、という感じでしかない。

日々の生活に追われている人間にとっては、これらのことは別世界の出来事でしかないのだから。

さて今さらながら、年末に読んだ本の紹介。

今年は、何回ブログを更新できるのだろうか?

ねらわれた学園

著者 : 眉村卓
角川書店
発売日 : 1998-06

ドラマ、映画で何度も映像化された、眉村卓の代表作。1981年に公開された映画は、ヒロインを薬師丸ひろ子が演じたことから、記憶に残っている人は多いと思う。本作のテーマは、ずばり「ファシズムはこうして生まれる」である。

主人公が中学2年生に進級してまもなく、新たに生徒会会長になった女子生徒によって「校内パトロール制度」が制定された。ところが、生徒会長によって任命された「パトロール員」達は暴走しはじめ、ついには自分たちに逆らう勢力は力づくで制裁を加えるようになる。生徒たちは文句を言うが、建前上は「生徒たちの意思によって運営する」生徒会が決めた制度になっているため、教師たちもうかつに口を挟めない。しかしある事件をきっかけに、主人公はクラスメートたちと一緒に、生徒会を牛耳る会長に立ち向かう。この事件の黒幕には、ある少年の存在があった。

なるほど「ファシズム」というのは、誰もが「このくらいしょうがないか」と思っているうちに、気がついたときには、取り返しのつかない状態になっているということなのだな。この作品が発表されてから40年以上経過した今の日本で、ファシストのごとく振る舞う総理大臣が登場するとは、作者も考えていなかっただろう。この作品では、生徒たちは体を張って抵抗したが、現実世界に住む日本人はどうだろう?と思うと、絶望的な気分になってしまう。

併録されている「新たなる敵」は、ある科学者が科学技術の粋を集めて作った「人間」が引き起こす騒動をテーマにした、一種のホラー小説。文体が軽いのでサクサク読めるが、この作品を映像化したら、観客・視聴者は何回も悲鳴を上げることになるだろう。ある日突然自分そっくりの人間が現れ、本物はどこかに閉じ込められ、やがて人工的に作られた「人間」が、自分たちの都合のいい世界を構築する…。これは、現代社会に対する、一種の警世では?と考えることも可能なのだ。

名列車列伝ー時代を駆けた列車たち

1882年東海道線新橋ー横浜間に登場した「急行」から、国鉄民営化直前に登場した「新特急」「ライラック」「ホワイトアロー」まで、優等列車(本書で取り上げる「優等列車」は「準急」「快速」「急行」など、「普通列車」以外のすべての種別が対象である)の歴史を述べた本。全9章で構成されるが、各章冒頭には時代背景とダイヤ設定の狙いが詳しく書かれているので、俗に言う「鉄オタ」でなくても、歴史に少しでも興味を持っている人ならば、すんなりと理解できる内容になっている。列車編成、ダイヤ、走行区間だけでなく、客層についての解説がなされているのが嬉しい。またこの本には「鉄ちゃん」すらもわかっていないような事実が沢山盛り込まれている。東京ー大阪間を鉄道で行く場合、現在はほぼ全員が東海道新幹線を利用する。だが昭和30年代は、上野から上越線・北陸本線を経由する特急が存在したのだ。それもこの列車は電車でも客車でもなく、気動車(ディーゼルカー)特急だったのだ。12時間かかったが、当時はそれだけの需要があったのだ。また現在では普通列車しか走っていない路線に、急行列車が頻繁に走っていた時代があった事を知って、驚く読者も多いだろう。1960年代後半~1970年代は長距離列車全盛の時代だったが、運行区間が拡大する高速バスや飛行機に押され、長距離列車は次々と消えていった。熱烈な鉄道ファンとしては、かつて鉄道少年の憧れだったブルートレイン(寝台特急列車)の復活を切に祈っているのだが。====

進撃の巨人(21)

「超大型巨人」の熱風をもろに浴び、大やけどで人事不省になったアルミン。腹部に重傷負い、虫の息の状態で部下に運ばれてきたエルヴィン団長。どちらかを生き残らせるべきかを巡りいがみ合うリヴァイ、エレン、そしてミカサ。その最中に乱入したハンジの「私にも……生き返らせたい人がいる。調査兵団に入った時から別れの日々だ」という言葉が、ずっしりと心に響く。そして、エルヴィンを「地獄から解放」するために下したリヴァイの決断を、誰が非難できようか?「超大型巨人」との対決に終止符を打ち、ようやくエレンの実家地下室にたどり着いたエレンたち。だが彼らがそこでみたのは、新たなる謎を生み出す記録だった…。ようやく明かされようとしている真相。そして、エレンの父・グリシャとは一体何者なのか?第9巻で「獣の巨人」が口にした「ユミル様」の正体も、ようやく明かされようとしている。彼が発した「ユミル様」とは、エレンたちの同期・ユミルと関係があるのだろうか?そして再び読者が目にする「王政」という概念。この二つの関係が明らかになったとき、ユミルがクリスタに執着していた理由が明らかにされるだろう。

ハイキュー!!(15)

前半は「もっとも完成度が高いチーム」という評価を得ている青葉城西と、「ブロックの強さでは県下一」といわれる伊達工の対戦。自分たちの試合を終えた烏野の選手が観客席に到着したときは、青葉城西が第一セットを取り、第二セットもリードしている。伊達工は、前チームからの主力である靑根、二口らに加え、期待の大型セッター黄金川が台頭し、これまでの「ブロック一辺倒」のスタイルから、必要に応じてトスワークを交えた攻撃を駆使するスタイルに変身しようとしている最中。だが目指すスタイルがそう簡単に上位校に通じるわけがなく、力の差を見せつけられるだけに終わった。

後半は、烏野と青葉城西との試合。このレベルになると、お互い(連続得点)できず、一進一退の攻防が続く。どうにか第一セットを取るが、その終盤に登場した「狂犬」こと京谷賢太郎の存在感が半端じゃない。「狂犬」というあだ名は本名の「京賢」に由来するのだろうが、この男、いったいなにを考えているのかわからない。そして第二セットに入って、烏野は彼の恐ろしさを味わうことになる…

ハイキュー!!(16)

烏野は幸先よく第一セットを取ったが、第二セットに入ってからは、青葉城西・及川の巧みなトスワークと「ほぼスパイク」並みの威力を持つサーブ、松川が駆使するブロック、そして「狂犬」こと京谷が繰り出すスパイクに翻弄される。リズムを失い押しまくられる状況を打破すべく、烏養コーチはチーム一のサーブを持つ山口を投入する。コートに入る時、日向から「10点取れ!」と激励される山口。彼はその言葉に「それじゃ試合が終わる」と返し、日向は「許す!」と応じる。このやりとりで肩の力が抜けた山口は、ようやく本来持っている力を発揮できるようになる。練習してきたジャンプフローターサーブを駆使し、5連続得点に貢献してチームメートを驚喜させる。準々決勝の和久谷南戦で、守りのサーブをして烏養コーチに詰め寄られた「弱い自分」から、彼は脱却することに成功した。残念ながら第二セットは相手に奪われたが、新たなるオプションを獲得した烏野は、ますます闘志をみなぎらせる。そして迎えた第三セット。このレベルになると、なかなかブレイクできないんだよなあ。さて勝利の女神は、いったいどちらに微笑むのでしょうか。

ハイキュー!!(17)

もつれにもつれた激闘は、あっけなく終わりを迎えた。フルセットの末青葉城西相手に、インターハイ予選での雪辱を果たした烏野の選手たち。一日に二試合というハードな日程で疲労が蓄積し、帰りのバスの中で眠りこける部員たちを横目に、武田監督に感謝の意を示す烏養コーチ。バレーボールのルールを満足に知らないにもかかわらず、練習試合や合同合宿の段取りをつける武田監督の事務処理能力は高い。見落とされがちなやりとりを、さらっと入れてくる作者の演出は心憎い限りである。後半からは、いよいよ白鳥沢学園との決勝戦(ここから、アニメ三期の内容に入る)。だがユース代表・牛島擁する白鳥沢学園は、4年連続で県代表として全国大会に出場している強豪。初の決勝で雰囲気に呑まれ、立ち上がりから白鳥沢に連続得点を許してしまう烏野の選手たち。さすが、4年連続で春高にでているチームは違う。だがそれ以上に目立つのは、両者の経験値。烏野は青、心身とも疲労はピークのはず。彼らは、この苦境をどう打破していくのだろうか。

第一次文明戦争

筆者は、アラブ・イスラム圏を代表する国際政治学者である。ユネスコ等国連機関で20年勤務した後、彼は学級生活に入る。本書執筆時は、母国モロッコのモハメド5世大学で教鞭を執っていた。

筆者はアメリカが推進する「グローバル化」政策に批判的な態度を取っており、2001年9月11日の同時多発テロ発生以降は、日本でも彼の見識が注目された。私はテロ発生からほどなくして、上智大学で開催された彼の講演会に足を運んだことがある。その講演は、事前告知がほぼネット上だけだったにもかかわらず、立ち見客が出るほどの盛況だった。彼はその中で、繰り返し「アメリカが進める『グローバル化』とは、世界中でコカ・コーラが飲め、マクドナルドが食べられるような状態にすることだ』と、アメリカの国際戦略を批判していた。日本ではこの時期を中心に、彼の著作がまとめて刊行された。しかし彼の著作は、2004年以降日本で出版されていないのはどういうことなのか。

本書は1990〜1991年に発生した「湾岸危機」「湾岸戦争」に関する論考20数本が収録されている。文体が読みやすいのは、翻訳者の能力のたまものだろう。彼が本書で指摘していることは、刊行後四半世紀過ぎた現代にもそっくり当てはまることが怖ろしい。かくも人類とは、これほど愚かな存在なのだろうか?

ハイキュー!!(18)

個々人の能力の高さと経験値で、他校を畏怖させ圧倒してきた白鳥沢学園。チーム力で必死に食らいつく烏野だが、第一セットは奪われてしまった。勢いづく白鳥沢応援団、歯噛みして悔しがる烏野高関係者。だが白鳥沢の能力の高さは、対戦前からわかっていたこと。そして彼らは「ロボット」ではなく「人間」である以上、スキを見せる場面もある。そして迎えた第二セットで、烏野のリベロ・西谷が牛島のスパイクを捉えることに成功。それをきっかけに「トータル・ディフェンス」に活路を見いだそうとする。だがその直後、独特の嗅覚に裏打ちされたブロックを操る天童が、彼らの前に立ちふさがる。ブロックは「読みと嗅覚だよ」という天童に対し、「システム」とやり返す月島のやりとりは、バレーファンには興味深いやりとりに違いない。その後も月島は、臨機応変にブロックシステムを駆使して、白鳥沢アタッカー陣の前に立ちふさがる。皮肉屋で口が悪く、お世辞にも協調性があるとは言いがたい性格で、日向、影山としょっちゅういがみ合っていた月島が、ついにその能力を発揮するときが来た。コートを挟んでの、天童と月島の駆け引きに注目したい。


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ハイキュー!!(12)

いよいよはじまった、「春高(全日本バレーボール高等学校選手権大会」)の宮城県予選大会一次予選。この大会は、もともと「全国高等学校バレーボール選抜優勝大会」という名前で開催されていた大会だが、「選抜優勝大会」時代は3月に開催されていたため、3年生部員は参加できなかった。この問題を解決するため、主催団体破壊歳時記を2ヶ月早め、同時に大会の名称を現在のものに改めた。3年生部員の主将・澤村、エーススパイカー・東峰(あずまね)がこの大会に参加できるのも、開催時期がずれたおかげである。

この巻では初戦・対扇南(おうぎみなみ)戦、二回戦・角川学園との対戦の模様を扱う。実力・経験値とも烏野メンバーとの隔たりは大きいが、それでも相手は意地とプライドをかけて、烏野と相まみえる。潜在能力は高いのに、努力することはかっこわるいと思っている後輩を歯がゆく思う、扇南主将。バレーボールを始めてまだ半年そこいらであるにもかかわらず、高い身長と底知れぬ能力を持つ1年生を擁しながらも、チーム全体で闘おうというコンセプトを掲げる角川。このマンガのいいところは、相手チームのドラマをしっかり取り上げ、一つの物語として本筋の中にうまく溶け込ませているところにある。さて烏野はこの予選で、どこまでチーム力をあげることができるだろうか?====

ハイキュー!!(13)

一次予選を無事に突破し、決勝トーナメントに駒を進めた烏野高校。しかし準々決勝の相手・上善寺高校の掲げる「遊ぶ」「お祭り」バレーに翻弄される。さらに勝負所とみるや、烏野がこの予選で披露した「シンクロ攻撃」実行し、烏野の選手を驚愕させる。上善寺高校の選手が繰り出す、独特のリズムと試合運びを見せる相手の攻撃に手を焼く日向たち。辛うじて第一セットは取ったが、第二セットに入っても、ゲームの流れは、なかなか烏野にやってこない。さらに主将の澤村が負傷し、戦線離脱を余儀なくされる事態が発生する。澤村がいても、相手のペースを崩せないでいるのに、彼という精神的大黒柱がいない状態で、彼らはどうやってチームを立て直し、相手ペースを崩していくのだろうか。それにしても、上善寺高校のなんとしぶといことか。本編ではあまり触れられなかったが、あの監督は一癖も二癖もある人物とみた。もし来年、再来年と再選することがあたら、この監督が烏野に立ちふさがる可能性は大きい。

ハイキュー!!(14)

ボールの行方を気にするあまり、田中と激突してしまった澤村。本人は「大丈夫です」と主張するが、顧問の武田は彼に「大丈夫だということを(医務室で)確認してもらってきなさい」と、即座に医務室で手当てしてもらうよう指示する。出血し、歯は欠け、おまけに脳しんとうの症状がある。こんな状態では、監督・コーチでなくても「危険だ」と判断するのは当然のこと。別のコマで青葉青城の及川が「夜になって容態が急変し、意識不明になった」と指摘しているとおり、脳しんとうというのは、実は怖い状態なのである。ベンチは澤村の代わりに縁下、続いて山口を投入して、必死に流れを変えようとする。厳しい練習に耐えかね、一時期部活動から遠ざかっていた時期がある縁下だが、チームの苦境を変えるべく、自分の持てる力をチームに還元しようと奮闘する。対照的に山口は、緊張のあまり、本来持っている能力を発揮できない。そんな山口を怒鳴りつけようとする烏養コーチ。だがそれを止めたのは、自分の弱さを知っている縁下だった。コーチの行動は、一歩間違えればチーム崩壊につながる危険性を秘めていた。それを縁下が止めたことで、チームの結束はより強まった。現実世界でも、彼みたいな行動をとれる人間は、なかなかお目にかかれない。頼もしい先輩に出会えた山口を、うらやましいと思う読者は多いだろうね。



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「2016年11月の読書リスト」

今年も、カレンダーが残り1枚になってしまった。

こんなにわくわくしない年末年始は経験がない。

右傾化し、人種差別が公然とはびこる社会。

縮まるどころか、広がる一方の格差。

少子化の影響で、パイがどんどん小さくなる経済。

ワカモノはワカモノで、自分の行動がどんな影響を与えるのかということを考える気配すらない。

マスコミの、政府与党べったりの姿勢は醜い。

知識人やNGOに至っては、自分たちよりもバカな人間、貧乏な人間を小馬鹿にしているとしか思えない。

希望は見当たらず、ひたすら重苦しい空気だけが漂っている。

個人的にいろいろストレスを抱えた結果、先月はとうとう記事を書けずじまい。

まあ、こんな弱小ブログの最新記事を、楽しみにしている奇特な人もいないだろうけどね。

さて、先月読んだ本の紹介。

10月に読んだ本の紹介より先になってしまったことを、当ブログを訪問してくれた人にお詫びしたい。

コミックは、いずれ改めて感想を書く(書けるのか?)。

青の数学

「数学」にとりつかれた高校生たちを取り巻く世界を扱った群像劇。テーマがテーマだけに、ここで繰り広げられる世界を理解できる人は、おそらく数学が好きな人、理系的な思考に長けている人に限られるだろう。世界観も文体も「わかる人だけついてくれればいい。わからないヤツのことは知らん」という雰囲気が滲み出ている。もっとも、この作品の「独特な文体」は、読書界から「クセが強い」と評価される「魔法科高校の劣等生」の作者が織りなすそれとは、次元が全くが異なる(理由はいうまでもない)。本作の登場人物の目標は「数学オリンピック出場」であり、そのために彼らは己の能力を最大限に振り絞る。1対1の決闘形式あり、タッグマッチの対戦ありという試合形式は、スポーツと何ら変わりない。ある少年は問う。「なぜ数学をするのか?」と。そもそも、この問いには正解というのがないのかも知れない。「マニュアル」という概念が隅々まで浸透したことで、人々は手軽に「正解」をほしがるようになった。だが彼らにとって「数学」とは「生き方」そのものなのだと思えるのである。「人生」に正解などないということを、作者は一番訴えたいのかもしれない。

社会学がわかる。

1996年に出版された、大学生向けの社会学入門書。「社会学とはなんぞや?」と聞かれたら、大人たちは何と答えるだろうか?「社会についての学問」と答えても、質問者はおそらく納得するまい。下手をすると堂々めぐりの禅問答のようになり、質問者と回答者の間に軋轢が生じることになる。すると、ある人は「お前だったら、どう回答するんだよ?」と突っ込んでくるに違いない。冒頭に出てくる25人は「学び方」について熱く語っても、多くの読者が求めているであろう「社会学とはなんぞや?」という質問には答えてくれない。その答えは、第二章にあたる項目をご覧いただきたい。女性の社会進出、医療問題、外国人の出稼ぎ、異文化交流、そして青少年が抱える問題。これらの問題は、20年以上前から再三にわたり指摘され論じられているにもかかわらず、解決に至る道筋が見えないと感じるのは私だけではあるまい。我が国おける社会学の第一人者・見田宗介氏は「社会学は『越境する知』である」と書いているように、現代社会を読み解くには、さまざまな角度からの知識が必要である。にもかかわらず、現在の社会学者たちは己の専門という名のタコツボに閉じこもっているのはなぜか?「海外社会学事情」の項目では、この学問の礎が「哲学」に基づいていることがわかるだろう。政治にしろ学問にしろ、今の日本が衰退しているように思えるのは、ひとえに日本人が「哲学」という概念を軽んじすぎたからでは?と思ってしまうのである。

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「2016年9月の読書リスト」

今月、我が家に最新鋭のBDレコーダーがやってきた。今まで使っていたレコーダーのDVDディスクが壊れたので買い換えたのである。

今まで使ってきたレコーダーは、今まで使ってきたテレビが故障し、5年前に液晶テレビ(人生初の液晶テレビである)とともに購入したマシンである。当時は単純に「画面がフツーに映ればいいや」と思っていたので、性能面は全く考慮しなかった。その頃登場した最新鋭のテレビは「ネット対応」を謳い、テレビでもYouTubeを楽しめることをウリにしていた。その時はネット上で動画を楽しむのはPCだと思っていた私は、最新鋭機ではなく普通のテレビを買った。もちろんBS・CS放送を見るつもりもなかった。

ところが、私が購入したレコーダーはチューナーが1つしかなく、録画したい番組が重なると、どちらかをあきらめなくてはならない。そういうことはしょっちゅうだった。録画できる時間も「3倍モード」で25時間分(5年前の製品は「GB/TB」ではなく、「時間」で収録可能時間を表示していた)しかなかった。そのため残しておきたい番組がたまると、その都度DVDにダビングしなくてはならず、DVDプレーヤーに過剰な負担がかかった。繰り返されるダビングにDVDプレーヤーは悲鳴を上げた。2年前に故障して一度部品交換をしてもらったが、今回の故障は家電量販店が設ける「長期保証期間」ギリギリのことだったので、それだったら新しいマシンを買おう、という結論に至ったのである。

BSを見るようになると、旧マシンへの不満が増大した。この機械では、BS番組はVHSビデオの画質でしか録画できないのだ。しかも画面はハイビジョンではなく「標準」モードだから、表示される画面の範囲は狭い。チューナーを新しくしたことで表示画面の不満は解消したが、画質の不満は残ったままだった。何しろ、映画のエンドロールに登場する細かい字がきちんと読み取れないのである。だからこの夏に外付けHDD購入して番組を録画して番組を見たとき、その画質の違いに唖然とした。問題は、外付けHDDに録画したBS番組を、新しく買ったマシンにダビングできるのかどうかということだ。それにしてもBS・CSというのは、本当にカネがかかるシステムである。

さて、それでは先月読んだ本の紹介である。

著者 : 古舘春一
集英社
発売日 : 2013-10-04
著者 : 木村草太
講談社
発売日 : 2012-11-22
著者 : 諫山創
講談社
発売日 : 2016-08-09
著者 : 古舘春一
集英社
発売日 : 2014-01-04

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「2016年8月の読書リスト」

オリンピックと甲子園という、国内外のビッグスポーツイベントが終わり、今年も9月に入った。

まだまだ暑い日が続くが、日本、そして日本の政治は終わったような気がしてならない。

今回の参議院選挙と都知事選の結果を見て、極右・復古派はしめしめと思っているに違いない。もっとも後者については「保守分裂」という願ってもない好機を生かせなかった、野党陣営の作戦ミスも大きい。

右傾化する若者世代に一石を投じるべく結成された若者団体「SEALDs」の解散会見が、今年の終戦(敗戦)記念日に開かれた。

大学生が中心になって結成されたこの団体は「怒れる若者の代表」として、一躍マスコミの寵児になった。全国に関連団体ができたことで、同世代への影響を与えうる団体と見なす人たちも多かっただろう。参議院選挙の一人区における野党共闘は、彼らの存在なくしてはありえなかったのは確かだ。今回の参議院選挙から、投票権がこれまでの20歳から、18歳に引き下げられた。そこにSEALDsが登場したから、彼らの活動に刺激を受けた同世代が「反安倍」に1票を投じるのではないか?という見方もあったが…結果は、皆様ご承知の通りである。

はっきり言って、私は彼らが与える「影響力」とやらを疑問視していた。今の日本では「世間で名の通った大学の学生=文化資本の高い階層出身が多い」と思われがちである。実際、ボランティア活動に積極的に関わっている学生は、知力・資力において余裕のある学生が大勢を占める。おまけに今の大学生は、自分と似たような境遇の人間、同じような環境で育った人間としか付き合わない。まれに異世代と付き合う人たちもいるが、それは自分たちにとってメリットがあるからである。女子学生はこれが顕著で、自分たちにプラスになるかどうか、ちょっとした会話で瞬時に判断する。

そしてこれらの体質は、NGO関係者にもいえることである。会話した相手の知性並びに文化資本が、自分たちより明らかに低いとわかると、よそよそしい態度をとる人間の何と多いことか?「せっかくだから寸志・会費はちょうだいします。ですがあなた方の意見を聞く気はありません。黙って我々のやり方についてきてくれればいいのです」という不愉快極まりない感触を、私は何度も感じた。

それはSEALDsも同じこと。彼らがシンポジウムを開くというので彼らのHPを見た私は、その金額を見て、心の中で怒髪天をついた。入場料3,000円だと!

学生の多くは、将来に怯えながら生きている。学費を滞納しないか?奨学金を打ち切らたり、アルバイト先をクビにならないか?クビにならなくてもバイト先から不当な扱いを受けないか?無事に就職先が決まるか?卒業しても借金苦に陥らないか?食費をギリギリに切り詰めても、公共料金や家賃を滞納しないか、びくびくしながら生活している彼らにとって3,000円というのは、おいそれと払えない金額である。組織運営費、会場費がかかるのは理解できるとしても、この金額はいくら何でもぼったくりではないか!50代に近いわたしですら憤りを感じるのだから、同世代はなおさらだろう。

生活に苦しんでいる学生にとって、彼らの存在は「別世界の住人」「異星人」にしか見えないに違いない。こっちは日々の生活に追われ、料金や家賃滞納の恐怖に直面しているのに、彼らは何事もなかったかのように「戦争反対」「原発再稼働反対」と国会前で叫んでいる。生活や将来の心配をする必要のない人はうらやましいよねと、静かに冷たい視線を浴びていることを、SEALDs関係者とその支持者は理解しているのだろうか?

確かに今の「若者」にも、真剣に「脱原発」「戦争反対」を願っている学生もいるだろう。しかし大多数の若者は、そんなことよりも「真っ当な就職先」「格差対策と機会の均等」を強く求めているのである。今の若者は、心身とも疲れ切っており、社会問題に関わる余裕はない。SEALDsに限らず「左派」知識人並びにメディア化傾斜が、これらの問題をもっともっと取り上げ、彼らの意見に耳を傾ける姿勢を見せていたら、参議院選挙も都知事選も、違った結果になっていたはずである。

それでは、先月読んだ本の紹介である。

 

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モア・リポートの20年ー女たちの性を見つめて

1983年、世間に衝撃を与えた「モア・リポート」シリーズの最新データを集めた一冊。このアンケートは1980年、1987年、1999年の三回にわたって実施され、その時々の女性の「性」に関する意識の変化を克明にとらえてきた、貴重な記録である。1980年と1987年のアンケート結果は単行本にまとめられ、文庫化の際前者は2分冊、後者は3分冊で刊行されたが、1999年のアンケートは、新書版で刊行された。セックスの回数を掲載しているのだから「好きな体位」「イキやすい体位」もアンケートの項目に掲載して欲しかったと思うのは、私だけだろうか?1998年のアンケートでは、援助交際、テレクラ、不倫、セックスレスの概念が入り、女性たちの性に対する認識の変化が窺える。そして「イク」「オーガズム」という概念は、今も女性たちを苦しませている。本来SEXというのは、男と女の間で交わされる、愛情を深める手段のはずなのだが、そのことを理解しない男性が多い事実には、憤りを感じるのである。

モア・リポートは今世紀に入って1回行われた記憶があるが、その結果が書籍にまとめられた形跡はない。もうそろそろ、21世紀日本女性の「SEX」に対する認識を知りたいと思っているのだが。

アグネス白書

氷室冴子が遺した、少女小説の傑作の一つ。前作の「クララ白書」が中学校時代(正確には「中等部寄宿舎時代」だが)の話だが、今作は高等部寄宿舎「アグネス舎」が舞台である。

無事に徳心女子学園高等部に入学した「しーの」こと桂木しのぶ。彼女は平穏無事な寄宿舎生活を望んでいたはずなのだが、相変わらずトラブルの種は尽きない。高等部入学早々、外部からやってきた女子生徒の扱いに四苦八苦。さらに中学時代からの親友・マッキーの恋愛騒動に振り回され、その騒動がやっと決着がついたと思ったら、今度は自身の恋愛(と本人は思っていないが)問題が持ち上がる。始末の悪いことに、この問題には尊敬する上級生たちも絡み、誤解が重なったあげく、中等部時代からつきあいのある男子大学生との関係に亀裂が入る。関係修復に走るしーのだが、相手は完全にへそを曲げてしまった。普通の女子高生だったら、完全に精神が崩壊しておかしくない展開である。さて彼女は、この事態をどう打開していくのだろうか?

美術館の舞台裏 魅せる展覧会を作るには

丸の内にある落ち着いた雰囲気を持つ美術館である、三菱一号館美術館。同館の館長が書き綴る、日本の美術展と美術館の実態と現状。日本の美術館に対する公的援助が少ないことは、以前から重々承知していた。自前で用意できるコレクションに乏しく、海外にネットワークを張り巡らす新聞社・メディアの力なくしては、日本の美術館で海外芸術の展覧感を開催することは難しいのだ。そのことが、日本の美術館とメディアの関係に悪影響を及ぼし、日本に真っ当な美重点の評論が存在しないことを、筆者は心から憂えている。「寄付」と「寄贈」の違い、美術品を巡るドロドロの世界、美術品と光(太陽光、室内照明問わず)の関係…。「学芸員」の地位が、海外と日本とでは全く違うことに、驚く人も多いだろう。大学の講座で簡単に取得できる日本に対し、高度な試験を突破しないとその座につけない海外。自前で用意できるコレクションがない(少ない)が故に、日本独自で発展した様式が、海外の美術関係者から奇異の目で見られていることは、日本人美術愛好者の一人としては肩身が狭い。そしてここ数年の世界的不況で、海外の美術館も経済的苦境に陥っているのは、美術ファン、美術展覧会好きには気がかりな状況である。美術というのは、このまま「金持ちの道楽」になってしまうのだろうか。

アグネス白書パート2

「アグネス白書」の続編。筆者が大学時代を過ごした、札幌にあるカトリック系ミッションスクール「徳心女子学園」の寄宿舎を舞台にしている「クララ白書」「アグネス白書」シリーズだが、時系列でいえば、前者は中等部3年での中途入寮~中等部卒業まで、後者は高等部1年次に起きた出来事を取り上げている。なぜこの時系列にしたかどうか、今となっては確かめる術はない。個人的には、筆者にとってこの2年間は「暗黒時代」であり、自分が理想とする学生生活を送ってみたかったという願望を、少女小説という形で再現してみたのではないか?と思っている。個人的には女性は「魔物化け物の類い」であると思っている管理人だが(その理由は書くつもりはない)、同年代の女子の交流とは、かくもややこしいものであり、男が想像する以上に陰湿であり、そして理解不能だと嘆息せざるを得ない。そして本巻でも、主人公「しーの」は自分の力では難局を打開できず、相変わらず周囲の都合に振り回されっぱなしである。救いは、彼女には理解者と友人に恵まれているということ。これだけでも、彼女は十分に幸せ者だと思うのだが。

ハイキュー!!(7)

第6巻に引き続き、インターハイ宮城県予選3回戦、青葉城西との対戦の模様である。

正セッター、影山に変わって登場した菅原は、影山とはまた違ったトスワークで、相手を混乱させる。敵将から「日向以外のアタッカーの使い方がヘタクソ」だと見破られた影山だが、トスワークとリズムを読まれはじめた菅原に交代するかたちでコートに戻ると、今までとは違ったプレースタイルをとるようになる。彼の急激な心境の変化に、戸惑うチームメートたちが浮かべる表情がおかしい。影山が復調したおかげでチームは勢いを取り戻し、第2セットを奪って1-1のタイに。勝負がかかる最終セットも、とっては取り返しの展開を繰り返し…。

そのプレースタイルから、主人公サイドや読者から「ラスボス」と思われている及川。だが彼もまた「努力の人」だった。一見飄々としているが、彼もまた人に言えないトラウマを抱えているのだ。挫折経験のない人間はいない、みんな心の奥底に、何らかのコンプレックスを抱えている。それが一般人のレベルからすると、遙かに高いところにあるとしても。この作品が人気を集めているのは、登場人物の心の傷について、きっちりと描いているからだと思う。

カラヤンがクラシックを殺した

筆者の専門は20世紀を中心にした美術史と芸術学で、その方面では高い評価を得ている。

その筆者が「カラヤン」をテーマにしたクラシック音楽の本を書いたのは、専門分野である「20世紀の芸術」との関連性があったからだろう。だができあがったのは、難解であり、見苦しく、独りよがりな文体で彩られた、この上なく醜悪な「カラヤン批判本」だった。筆者は「カラヤンによって、クラシック音楽が持つ精神は堕落する方向に向かった」と主張するが、そのような音楽を受け入れたのは現代の聴衆である。カラヤンは彼らに受け入れられるように、自分が持っている美学を大衆にあわせてに過ぎない。非難されるべきは、彼にそのような美学を要求した聴衆であり、カラヤンではない。

筆者がカラヤンを嫌うのは勝手だが、このような主張がクラシック音楽のファンを買うのは当然であり、ネット上の評価が芳しいものでないのも宜なるかなと考える。

余談だが、筆者は本書を上梓してから約半年後に急逝した。今生きていたら、どんな音楽評論を書いていたのだろうか。彼の書いた哲学本、美術本をもっと読んでみたかった。

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「2016年7月の読書リスト」

毎年この時期のメディアは、高校野球で勝手に騒ぐので、鬱陶しくてしょうがない。私が購読している新聞の地方欄は、高校野球予選の期間中、必要最低限のデータしか載せないからまだ我慢できる。しかし主催社の朝日新聞をはじめ大メディアは予選開催中、来る日も来る日も地方版で「さわやかな球児たち」「選手たちを必死で応援する学校関係者」を紹介する記事を掲載する。彼らの性格が記事に載ったとおりならいいが、そんな生徒にはめったにお目にかからない(あくまでも私個人の体験と印象に基づいているのであしからず)。問題は生徒の中に「問題児」がいる場合である。地方では教師を含め学校関係者は、地域の有力者と一体化(「癒着」ともいう)していることが多い。そのためスポーツに限らず、地域における学校の「看板部活」の関係者が不祥事を起こすと、彼らはありとあらゆるコネを駆使して、不祥事のもみ消しを計画・実行する。毎年発覚する部活関連の不祥事は氷山の一角に過ぎず、泣き寝入りする被害者も多いに違いない。まあ高校野球に限らずスポーツイベントに冷淡なのは、自身が「運動音痴」である事、私に酷い「いじめ」をしていた連中の多くが「運動部」に所属していたからなのだが。実際、とあるプロ野球選手が自著で

「高校球児を『さわやかな』と表現するのはいい加減やめて欲しい。オレの周りの高校球児は『酒・タバコ・オンナ』に夢中だった」

と、その内情を暴露しているし。高校野球ですらそうなのだから、他のスポーツも似たようなものだろう。

女子のスポーツ選手はどうかって?男子より少しはマシだろうと思いたいが、最近の女子は「肉食化」しているからね。おとなしそうな顔をしているが、ひとたび競技場を離れたら、男をとっかえひっかえしている、という伝聞記事を掲載された選手もいる。やっかみが混ざっているかも知れないが、真相はどうだろう?

今年(2016年)はオリンピック・イヤーだが、前回大会のロンドン・オリンピックに設置された選手村で用意したコンドームが、開催終了を待たずに全部なくなったとか、選手村で知り合った選手同士が、愛の世界に浸っていたという話が盛んに流れていた。実際に選手村に泊まっていた選手の証言だから本当だろう。ネタほしさに「枕営業」を仕掛けるメディア関係者もいるかも、というのはゲスの勘ぐりか。特に今回の開催地であるリオデジャネイロのあるブラジルは、男女間の貞操観念が希薄なお国柄(これも管理人の勝手な妄想です)だから、今まで以上のペースでコンドームが捌けるのでは?といらぬ妄想を思ってしまう管理人は、生まれてこの方彼女がいたことがない、哀れな中年男性である。

話は変わるが、このブログも開設以来、入場者数が10,000人を突破した。このような弱小ブログを訪れてくれる読者に、この場を借りて感謝したい。

それでは、今月読んだ本の紹介である。

 

演劇の力 ―私の履歴書

 

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「2016年6月の読書リスト」

早いもので、今年も半年が過ぎた。今年(2016年)は参議院選挙がある。今回の選挙でどんな結果になるのか、正直言って怖い。皆様ご存じの通り、与党は今回の選挙で全議席の2/3を占めることを目標にしている。そうすれば、安倍政権の悲願である「憲法改正」の実現に一歩近づくことになる。

だが、有権者は本当に自民党を勝たせてしまうのか?そのカギを握っているのは、1人区の情勢である。前回の参院選で、与党勢力は29勝と圧倒した。しかしその原因は、野党系候補が乱立して共倒れになったからで、与党系候補の得票率は半分に満たない。前回の参議院選挙では、野党系候補の得票率が与党を上回ったところも多かった.そのため心ある多くの有権者は「なぜ野党は大同団結できないのか?」と怒りの声を上げた。野党各党が候補者を絞り、票割りをうまく配分していたら、結果は違っていたと指摘する識者も多い。彼らも前回の苦い教訓を生かす姿勢はあるようで、今回の選挙では野党(民進・共産・社民・生活)合同の統一候補を立てて、これに対抗しようとしている。今回やっと有権者の要求が通ったが、中心野党の民進党内部では、この期に及んで「共産党との共闘はイヤだ」などとガタガタ言っている。自民党に不満を持つ保守層が増えているにもかかわらず「共産党と組めば、彼ら保守層が逃げる」という議員がいるのだ。この党の「政治センス」のなさは今に始まったことではないが、この体たらくを見ると、政治に絶望を感じる人たちが増えるのも当然だろう。

今回の選挙から、選挙権が18歳からに引き下げられる。おそらく安倍政権は「若者の保守化」を見越し、今だったら選挙で勝てると思ったのだろう。昨年の安保法制反対で名前を売ったSEALDsは確かにがんばっているが、彼らに続こうという若者の動きが見られない。元外務官僚の孫崎享氏は「日刊ゲンダイ」のコラムで、自民党を支持すると回答した東大新入生が3割、安全保障法制の成立を「評価する」「どちらかといえば評価する」と回答した学生が4割を超えたことについて、強いものに取り入ることしか考えていないと嘆いていた。しかしそんな年寄り世代の諫言も、若者の耳には届かない。自分たちと同じ世代、同じ階層としか交流を持たないのが、今の若者である。だから、私は期待していない。21世紀の15年間で、日本は怖ろしく醜い国になってしまった。これから日本はどうなるのだろう?考えるだけで怖ろしくなる。

それでは、先月読んだ本の紹介である。

 

超・反知性主義入門

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