Archive for the ‘ 国際関係 ’ Category

2008年に行われたアメリカ大統領選において、民主党候補バラク・オバマが勝利を収めたことに、安堵の声を上げた人はおそらく多いだろう。2001年に発足したブッシュ政権は、「京都議定書」からの離脱宣言に始まり、国際刑事裁判所条約の批准拒否、「9・11」から「イラク戦争」等々、複雑になる一方の国際関係に深刻な禍根を残すのではと懸念される政策を、次々と強行してきた。国内政策においても、2005年8月末にニューオリンズを襲ったハリケーン「カテリーナ」の後始末でも後手を踏むなど、その手腕に疑問を持たれることも多かった。そのため、2009年から発足するオバマ政権は、ブッシュ政権よりもかなりよくなるのではないかという見解を表明する、国債関係学者やメディア関係者は多かったに違いない。だがこの本を見る限り、アメリカに深く根付いた「原理主義」「宗教右派的」な考え方は、オバマ政権になっても簡単に衰えないだろう。なぜなら宗教右派に代表される原理主義者たちは、長期にわたってアメリカ国内世論の「右傾化」に力を注いできたからである。

筆者は、この本で

「左派・リベラル派は簡単に結果をほしがるが、右派とりわけ『宗教右派・原理主義者』といわれる面々は、自分の目的を達成するために時間とお金をたっぷりかけ、徐々に自分の思い通りの結果になるよう世論を導く工作をする」

と指摘する。言い返せば、アメリカがまともな国になるためには、今宗教右派がやっている工作を、左派・リベラル派がやらなければならないのだ、と警告する。====彼ら宗教右派・原理主義者の思考の根底にあるものとして、著者は「聖書(これですら著者から見れば、でたらめでおぞましいものである)」の存在をあげる。われわれは神によって作られたものである、この世の生物は、神によって創造されたものである、と。驚くべきことに、アメリカ国内において、ダーウィンの「進化論」を否定するクリスチャンは、アメリカ国内で6割を超えるという。「進化論」を否定するだけでも問題なのに、彼らにとっては地球温暖化の問題ですら「神が与えた試練」であり、神を信じるものだけが救われるのだと頑なに言い張る。

原理主義者に代表される「宗教右派」と言われる人たちの過激な主張は、公教育の現場に「聖書」を教えるよう要求するだけにとどまらない。科学教育の現場を否定するだけでは気が済まないらしく、科学研究結果のデータですら自分たちの都合のいいように改ざんするよう要求する。実生活においても社会福祉という概念を公然と否定し、上流階級の教育費の増額を要求する一方、下層階級の教育費削減をなんとも思わない。階級格差や人種差別に反対する人たちは、神を信じない人間だから救う必要がない。これが彼らの主張だが、この本を見る限り「宗教」って、いったいなんだろうと思ってしまう。「宗教」は人を幸せにするためにあるものだが、ここでは「自分と違うものは差別の対象」という意味で使われてしまっている。

彼らの主張の成果が、2007年以降全米各地で湧き起こった「ティーパーティー運動」である。2008年アメリカ大統領選における、共和党の副大統領候補サラ・ルイーズ・ペイリンは、ティーパーティー運動関係者から圧倒的支持を受けたものの、いざ選挙戦になると、ペイリンは副大統領としての資質を疑われる発言を連発し、結果的に共和党敗戦の戦犯の一人となってしまった。そのためこの運動は一時期低迷したものの、2014年の中間選挙において、彼らは未だに侮りがたい存在である事を見せつけた。全米を代表する新聞であるニューヨーク・タイムズの著名コラムニストは、2010年に掲載したコラムで、この運動はアメリカ国内経済の低迷による景気後退を背景に、既成政治への不満や閉め出された不満分子の受け皿となったと背景を指摘した。その上で彼はこの運動を今後10年を特徴付ける政治運動となる可能性があると述べ、ティーパーティーがいずれ共和党を支配するだろうと予想した。

もちろん、ティーパーティー運動の関係者が全員共和党を支持しているわけではなく、支持する政策が合致する候補者を支援すると答える人が大部分を占める。しかしこの運動の主宰者の中には

「ティーパーティーは共和党に従属するような関係を望んでいるわけではなく、我々は共和党を敵対買収するつもりだ」

と発言するものもいることから、この精力が共和党を乗っ取るのでないかという見方がかねてから有力視されていた。今回(2016年)の大統領選において、ティーパーティーが積極的に支持するドナルド・トランプが旋風を巻き起こしていることから、彼らの予想は見事に的中したといえる。トランプ候補は、共和党候補者として出馬しているが、彼の外交政策が、共和党の伝統的な政策と全く異なっていることから、共和党の重鎮と言われる政治家を中心に、彼を共和党の大統領候補にするのを阻止しようという動きが急速に高まっている。しかしトランプを支持する共和党員は、この動きに対し猛烈に反発する姿勢を見せている。そのためアメリカのメディア関係者及びアメリカ政治の研究者からは、最終的に共和党は、彼らタカ派の極右勢力に乗っ取られてしまうのではないか、という意見を持っている人も少なくない。

ニューヨークやワシントン、サンフランシスコなどの海岸部や都市圏から発信されるメディア記事だけで、アメリカの国内情勢を判断すると大やけどする。オバマ当選は、まだ少なからず残っているアメリカ有識層が決起した結果でもある。だが宗教右派・原理主義者といわれている連中は、金集めのための財団だけでなく、自前の教育機関(研究所、大学などの各種学校)と報道機関(新聞・テレビ・ラジオ)を持ち、その傘下に信徒団体(教会・集会所・各種団体)を持っているので、政権が右から左に変わっても、民衆の性格は簡単に変わらないだろうというというのが著者が出した結論だ。この本は、カルト宗教が力を持つアメリカの暗部を暴露しているといえるだろう。彼らは今回の大統領選で、どのような投票行動をとるのか?そして自分たちの胃に染まらない候補が大統領に就任し続けたら、どのようなるのか?考えただけでゾッとするといわざるを得ない。

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「非戦」

あの忌まわしい出来事から10年以上たつというのに、現在は「過去から学ぶ」ことをやめたかのように、同じような出来事を繰り返そうとしている。

著者 : 坂本龍一
幻冬舎
発売日 : 2001-12-20

2001年暮れ、チョムスキーのインタビュー集「9・11-アメリカに報復する資格はない」とほぼ同じ時期に出版され、一躍大ベストセラーになったのがこの本である。

坂本龍一が

「あの日の空の青さとともに、人類はとうとう『パンドラの箱』を開けてしまったのか、という腰のなえるような恐ろしさを、ぼくは一生忘れることができないだろう」

と「あとがき」のなかで触れているとおり、「2001年9月11日」は世界中の人にとって、一生涯忘れることのできない事件である。世界貿易センタービルに旅客機が突っ込むなど、いったい誰が予想し得ただろうか?しかもテロ組織の飛行機はペンタゴン(アメリカ国防総省)にも突っ込み、全壊は免れたとはいえ、一歩間違えれば全世界中は地獄のどん底に突き落とされただろう。ブッシュが声明を出したのは事件発生から6時間後で、しかもその間の所在がいまだに不明であることから、一部では

「ブッシュは、これらの事態をあらかじめ知っていたのではないか」

とまで囁かれ、それを裏付ける証拠めいたものがネット上に流れた。だがその後は、この事実を深く突っ込むマスコミも人間もいなくなったのはなぜか?真相はいまだに藪の中である。

近年、平和運動が停滞していたというのは事実だ。日米ガイドライン(周辺事態法という名前でごまかされているが、アメリカでは明確に「戦争マニュアル」と呼んでいる)が制定された時ですら、反対運動は盛り上がりを欠いていた。世間一般には「平和平和と叫んでいれば、世界は平和になるのか」というさめた意見や、「現実問題として、 軍事力がなければ平和は保てない」という意見が満ちあふれ、平和運動団体側もこれらに対する有効な対案を提示できず、結果として国内の平和運動は閉塞状態に陥っていた。そう、少なくても日本国内においては。====

そんな空気も「9・11」で一変する。事件が起きた当初、原因や犯行集団に関してさまざまな揣摩憶測が流れた。テロの首謀者についてはビンラディン一派率いるテロ集団「アルカイダ」の犯行だといわれてきたが、本当に彼らがやったことなのか、事件が起きてから1年近く経過したが決定的な証拠が出てこない(2001年当時)。事故から少し立って、イギリス政府がビンラディン一派の犯行だと発表したが、イギリスのマスコミはこれについても異議を唱え、辛辣に酷評していることは、この本に収録されている「2001年9月11日 米国におけるテロ残虐行為の責任者」の解説(星川淳氏)を見ても、それは明らかである。にもかかわら ずブッシュ大統領は「これは戦争だ」と叫び、「我々の側につくか、それともテロリストの側につくか」と言うセリフで二者択一を迫った。国内外のマスコミも戦争ムード一色になり、いつどんな形でアメリカがビンラディン一派に宣戦布告するのか、興味はその一点に絞られるような報道スタンスをとる新聞社も出てくる始末だった。

しかし日本国内はむろんのこと、全世界中において「戦争だけで本当に平和が訪れるのか?すべての問題が解決するのか?」という思いがネット上の世界に 急速に広まっていく。それが現実世界に置いても行動が具体化し、テロの背景やいまだに解消されない南北問題について深く知ろうという動きも徐々に増していく。日本国内で広がった「平和」への思いはやがて平和を求める市民ネットワーク「CHANCE!」に結実する。今までの平和運動はとかくイデオロギー論争になりがちだったが、この事件をきっかけにして右派・左派がお互いの垣根を乗り越え、国内の平和運動が一つになった。その動きは10月のアフガン「報復空爆戦争」が始まるにつれて、ますます盛んになっていく。国内外でも、従来の平和運動のイメージにとらわれない、新しい感覚を持った団体が続々と生まれる。 インターネット上でお互いに情報を交換し、時には意見を戦わせ、そして行動に移していく。「ピースウォーク」(といっても、その内実は「デモ」なんだけどね)という、新しい行動様式の誕生はこうしてうま れた。

これは従来のデモとは一線を画したもので、この行動は誰でも気軽に参加できるようにと、イデオロギー色をなくしていることに特徴がある。1回もデモ行進に参加したことがないという人が多数参加している事からも、それは明らかだ。これまで平和運動やデモ行進に興味も関心もなく、むしろそれらの活動 に対して反発を感じていた人間をも巻き込むことに成功した。

それと並行して、一冊の本を作ろうというプロジェクトが立ち上がる。坂本龍一もあとがきで触れているように、ほとんど顔を合わせたことのない人間が1日 平均250通のメールを交換しながら編集作業を行った。Webからの情報を頼りに筆者をたどり、転載許可を求め、翻訳をし、新たに原稿を書き下ろしても らう。編集作業が決して順調に進まなかったということは、坂本の

「思わぬ反発に出会ったりする……(中略)……たくさんの筆者の論考を一つの本にまとめる 難しさを知る」

という一文からも、さまざまな葛藤をかいま見ることができる。

立ち上げから出版まで3ヶ月足らずだったにもかかわらず、国内外約50名の著名人がこの本にメッセージ・論考を寄せてくれた。400pを越える大著故、 ここではそれぞれの論者についての感想はあえて書かない。人によっては、これは収録するに値するのかと思われるのもあるかもしれない。だが一ついえること は、この本には世界中の人たちの平和に対する熱い思いが込められている、ということである。作家、音楽家、NGO職員、学者などさまざまな立場を乗り越え、平和について語っている本というのは、なかなかお目にかかれないだろう。収録されたメッセージの中には、ネット上で広がったものも多数ある。一つ残念なのは、この本にメッセージ・論考を寄せた人間の中に、日本の政治家が誰もいなかったということ。個人的には、辻元清美にメッセージを寄せてほしかったな と思っているのだが。

編集チームの名前になった「sustainabillity for peace」とは、「平和のための持続可能性」という意味である。そのためには我々には何ができるのか、読者には真剣に考えてほしいと同時に、筆者達の

「人を殺すな」

「生き物を自分の利益のために殺すな」

「子供たちの生きる権利を奪うな」

という思いを感じ取ってほしい。と同時に「戦争が答えではない」ということも知ってほしい。

この本を読んで、「非戦」という希望が、人々の間に広がっていくことを切に願う。

なお、この本の印税は全額アフガニスタンに寄付され、同国の復興資金の一助となることが決定している。

という文章を、私は当時運営していたHPに掲載した。「CHANCE!」の運動が盛んだった頃は

「これで『左右対立』といった、不毛なイデオロギー論争が終結する」

と本気で思っていた。しかし…

不毛でどうでもいいことがきっかけで、この運動は旧来の「活動家」達によって、すべてメチャクチャにされてしまった。

「活動家達」の不愉快な体質は、昔も今も変わらない。

気づいたところで、彼らが耳を傾ける可能性はほぼゼロだから何も変わらない。

私は長年NGO活動に関わり、かつ支援してきたが、それでわかったことは

「所詮NGO活動は、頭のいい人、裕福な者同士のための出会いの手段に過ぎない」

という、厳然たる事実だった。

NGO団体で活動している若い人を見ると、彼らは自分たちと同じ世代同士でつながりたがり、積極的に異世代と交流しようとしない。仮に交流したとしても、それは自分たちの得になる人としか付き合わない。こちらがどんなに彼らのほしがる情報を紹介したとしても、彼らは自分たちより頭が悪いか貧乏だと、とたんに小馬鹿にした態度をとるのが常だ。

「お金は欲しい。でも意見は聞くつもりはない。仲良くしましょう?冗談でしょ?」

そんな対応を何度となくとられていたら、こちらだっていい加減イヤになってくる。

「都心在住の知的エリートの、都心在住の知的エリートによる、都心在住の知的エリートにアピールするための活動」

それが、今の日本のNGOの実態である。

「外国の貧困撲滅」を訴えながら「国内の貧困撲滅・格差解消」に関心を持たない人たち。

「戦争反対」を訴えながら「脱原発」「格差解消」を求める意見に耳を傾けない人たち。

「人権擁護」を訴えながら「犯罪犠牲者」の人権擁護には消極的な人たち。

そんな事実に気がつかず、今までずっとこの世界に身を置いてきた自分が情けなくなってくる。

この国にいつまでも、NGOの精神が根付かないわけだ…

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周恩来秘録(上・下)

著者 : 高文謙
文藝春秋
発売日 : 2007-02-27
著者 : 高文謙
文藝春秋
発売日 : 2007-02-27

文庫版あり(文藝春秋社)

1960年代後半の中国で巻き起こった「文化大革命」に関する本は、民衆の視点では「ワイルドスワン」(講談社文庫・3冊)や「上海の長い夜」(朝日文庫・2冊)などで余すところなく触れられているが、権力者側の視点から取り上げられた本はあまり紹介されなかったと記憶している。この本は、文化大革命時に中国の首相だった周恩来の晩年10年間の軌跡を、これまで公開されてこなかった秘密資料をふんだんに使い、彼の実像に迫った本である。

大躍進」という名の経済政策が未曾有の大失敗に終わった中国は、毛沢東劉少奇に権限を委譲した。劉少奇は大胆な改革に取り組み、中国経済の再建に成功するが、その実力を妬んだ毛沢東が、劉少奇一味に権力闘争を仕掛け「走資派」のレッテルを貼って彼らを失脚させたのが「文化大革命」の実態だったことは、少しでも中国現代史に関心がある方なら理解していただけると思う(失脚後の劉少奇は自宅に軟禁され、持病の治療は愚か入浴も散髪も許されず、自らの誕生日に「共産党除名」演説をラジオで聞かされるなど心身とも苛烈な扱いを受けたあげく、首相「解任」から2年後、失意のうちに病没した)。

これまで周恩来は「毛沢東の権勢から良識派を守った者」というイメージで見られていたが、この本を読む限り、彼もまた我が身かわいさから、多くの良識派幹部を見殺しにしたということが理解できるだろう。

なぜ周は毛を恐れたのか?

毛の猜疑心と権力欲が人並み以上に強かったという、独裁者にありがちの資質を持っていたこともあるが、その原因は、戦前の中国共産党共産主義インターナショナル(コミンテルン)との関係にある。コミンテルンは周を高く評価していたが、毛はそのことで周を深く恨んでいた。また周自身、もともと人と争ってまで自分の意見を押し付けることを嫌っていたため、勝負どころでは毛に遠慮していたふしがある。周は毛の面子を立てたつもりだったのだが、その真意が毛に伝わるところがなかったのは不幸としか言いようがない。

実質的に「四人組」を仕切っていた毛夫人・江青が毛以上に権力欲が強かったことも、悲劇に拍車をかけたといえる。だがそれほど権力欲が強かった毛ですら、実務能力では周にはるかに及ばず、政策面では周の手腕に頼わざるを得なかった。事実、1950年代の大飢饉は、毛沢東の失政が引き起こしたものであり、周はその後始末に奔走した。

猜疑心と権力欲の強い性格だった毛は、後継者を育てては自らの手で潰すことを繰り返してきた。妻である江青のことも、そのヒステリーと無知さぶりゆえ嫌っていたほどだ。そんな毛が後継者に指名したのが林彪だったが、その林彪ですら毛のことを内心では毛嫌いし、馬鹿にしていた。周はそんな林彪と気脈を通じていたのだが、それが後年の大事件へとつながっていく。====

劉少奇を失脚させた毛沢東は、党内No2の林彪に手をかける決断をする。表面上は友好関係を保っていた両者だったが、裏ではお互いドロドロの暗闘を繰り広げていた。真綿で首を絞めるように追い詰められた林彪は、ついに毛沢東暗殺&クーデター計画を実行しようとするが失敗、亡命のために乗った飛行機が墜落して家族とともに死亡する。彼のクーデター計画を阻止したのは、林彪のすぐそばにいた人物だった。

周恩来最大の功績として、アメリカのニクソン大統領が中国を訪問したことが挙げられるが、実は林彪がソ連と汲んでクーデターを起こすのではないかと恐れた毛沢東が仕組んだものであったということが、本書の中で明らかにされる。だが海外マスコミは周恩来をたたえ、毛は一顧だにされなかったことから、彼は周に対してあの手この手の嫌がらせを加える。

周のガン治療ですら妨害する毛の性格に、身の毛を覚える人も多いだろう。ガンの痛みと毛の圧力に苦しみながらも、時にへつらい恭順の姿勢を見せつつ、周は毛と最後の暗闘を繰り広げていく。死の床で最後の力を振り絞り「私は党に忠実だ!人民に忠実だ!」と叫んだ周恩来。その胸中にどんな思いがよぎったのか、今となってはそれを確かめるすべはない。

地方の貧農の家に生まれ、父親から虐待を受けて育ち、我が強く法家思想の信奉者だった毛沢東と、都会の裕福な家庭に生まれ育ち、若かりしころは日本とフランスに留学し、儒家思想の信奉者だった周恩来。思想も環境も決して交わることがなかった両者だが、今の中国は両者なくして成り立たなかったことは事実である。

しかし今の中国は、二人の理想の国家といえるだろうか?「四人組」裁判で、その中心だった張春橋が「共産党が堕落党員の問題を真剣に解決せず、特権階級となり、多くの人民から乖離し云々」と指摘したように、この国家はあまりに大きな図体をもてあましているように思える。この巨大な国家は、これからどこに向かうのか?現代中国を考える上で、この本が取り上げている思考は貴重なものといえるだろう

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「9・11」以降、日本国内ではコスタリカに関心を持つ人間が急増している。理由は、日本においてこの国が「軍隊を持たない国」として紹介されているからだろう(ただし、日本には「自衛隊」という名の「軍隊」があるが)。左派は「コスタリカには軍隊がない、だから日本も軍隊をなくすべきだ」と主張し、右派は「コスタリカは、憲法で軍隊を保持することも、徴兵制も認めている」と述べる。そのどちらにも政治的なバイアスがかかっているため、ありのままのコスタリカが理解されていない事が、著者には不満だったようだ。

もっとも著者自身、中学校の授業ではじめてコスタリカのことをきいたときは「軍隊なしでやっていけるのか」と思っていたという。著者が中学生だった’80年代後半は、中南米諸国のほとんどは軍隊が政権を握っており、それをアメリカが支えるという構図でなりたっていた。どんなに国内で圧政を敷いても、アメリカの支持がある限り政権は安泰だが、ひとたびアメリカという後ろ盾をなくしたら、その政権はあっという間に瓦解する。北隣には極左勢力・サンディニスタ政権のニカラグア、南隣には、アメリカの忠実なる僕だったパナマがある中、コスタリカは巧みな外交攻勢によって中立を保ち、現在の国際的地位を獲得した。

断っておくが、この国はある日突然「軍隊をなくす」と宣言したわけではない。’40年代後半には、深刻な内戦を経験しているし、その残党が、当時ニカラグアを牛耳っていたソモサ政権と結び、コスタリカを再び内戦状態にしようと画策したこともある。-軍隊があるから、内政が安定しない。相手に内戦の口実も与えかねない。軍隊を持っていても危険リスクが高まるだけなら、いっそのこと軍隊そのものをなくしてしまえ-当時のコスタリカ国民が「軍隊をなくす」という結論になったのは、内戦という苦い経験に学んだからである。====

ところが、コスタリカ憲法は「再軍備」も「徴兵制」も認めている。日本の右派勢力が「コスタリカには軍備放棄をしていない」と主張するのは、憲法にこのことが書かれているからだが、当のコスタリカ人は、軍隊経験者・警察関係者を含め「100年後先はわからないが、今の段階では再軍備はあり得ないし、そうならないように努力し続ける」と断言している。当時の大統領がイラク戦争を支持すると聞いて、世界中がひっくり返ったが、そのときですら、大統領を支持するコスタリカ国民はほとんどおらず、支持を表明した人物も「再軍備なんかとんでもない、それだけはあり得ない」と発言するほど、国内では軍隊の存在を認めない姿勢が徹底している。

だが残念なことに、地球上には「この世の楽園」は存在しない。左派勢力が「地上の楽園」と喧伝しているコスタリカもご多分に漏れず、近年は麻薬蔓延と政治腐敗に苦しんでいる。この国は人権教育が徹底しており、警察も「人権」の配慮にはかなり気を遣っているが、治安強化と人権とのバランスをいかに保つか、かなり頭を悩ましているようだ。グローバル経済の影響で貧富の差が拡大し、バナナ・プランテーションは環境破壊問題を引き起こしている。女性の高い就業率が、DV(ドメスティック・バイオレンス)用シェルターの数の少なさにつながっているのは皮肉だし、NGOの支援が貧困層に十分行き届いているとは言い難い。このほかにも先住民問題、高齢者問題、障害者問題、果ては賄賂文化の横行など、この国には問題が山積している。

それでもこの国は、どんな状況になろうとも軍隊を持とうとはしない。大臣は

「戦闘機1機が買える値段で、パソコン20万台が買える。ヘリコプター1機の値段で、中学を退学しようとしている子供達5,000人に、年間100ドルの奨学金を授与できる」

と力説する。そもそも、この国が軍隊を捨てた理由のひとつが「教育に力を入れたい」というものなのだ。この国では大学までの学費が無料だが、それでも学校に行けない子供達が大勢いる。しかし国民は少しでも望みがある限り、理想に向かって努力する姿勢を崩さない。

平和というのは「お願いすればやってくる」のではなく、闘って勝ち取らなければならない。

コスタリカ人の生き様を見ると、ふとそんなことを思った。

「平和とは、終わりなき戦いなのです」

2000年秋、日本にやってきたオルセン・フィゲーレスはこう語った。そして彼女は、インタビューされる度にこの言葉を繰り返す。-平和とは突然やってくるのではない、それに向かって努力するのが重要なのだ-確かに、今のコスタリカは「発展途上国」かもしれない。だが軍隊をなくし、軍事力に頼ることなく紛争を回避し、これからも軍隊を持たないように努力する。その努力だけでも、コスタリカとその国民は、永遠に国際社会に輝き続けるだろう。

著者が言うように、日本はコスタリカをそっくりまねする必要はない。だが、コスタリカから学ぶところが多いのは事実である。この国がコスタリカの長所を学び、魑魅魍魎が跋扈する国際社会でうまく立ち回るすべを身につけたら、日本は生まれ変われるのだろうか。

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生まれて初めて「ホームページ」なるものを作り

生まれて初めて「書評」なるものを書いた、記念すべき第一作目。

それをそのまま転載します。

平和文化
発売日:1991-03

 出版日を見てもわかるように、これは今から10年以上前に出版されたものである。また、肩書きも当時のものであるということをあらかじめお断りしておきたい。ひょっとしたら、絶版になっているかもしれない。

 管理人はクルーズからの帰国後、ある会合で再会した伊藤教授から手に入れた。この本を読んで、各論者達の平和教育に関する熱い思いを感じることができた。

 1991年といえば、戦後まもなく発生した東西冷戦が1989年に終止符を打ち、やっと世界中が待ち望んだ平和がやってくると思ったのもつかの間、翌年発生したイラクのクゥエート侵攻がきっかけになって湾岸戦争が発生し、その戦争もアメリカの勝利に終わってアメリカの一極支配が始まろうというという時だった。

 アジアでは長年続いたカンボジア内戦がようやく終結し、日本が自衛隊を派遣するかどうかでスッタモンダあげくにPKO法案が成立し、自衛隊の海外派遣に道を開いたのもこの年の出来事である。今年(2002年)にアフガニスタン復興会議が開かれ、各国が支援金額を決めたのだが、この先駆けとなったのはカンボジア復興会議だったということは以外と知られていないのかもしれない。この本が出版された時代背景として、このことを頭に入れておいた方がいいかもしれない。====

 まず気がつくのは、平和学というのはありとあらゆる分野から成り立っているということである。そして、昨今平和学で盛んに語られている「構造的暴力」という言葉は、ノルウェーの平和学の泰斗ヨハン・ガルトゥングによってこの頃から提唱されているというのは驚きである。

 構造的暴力というのは、食料の分配の偏りからくる飢餓、有効な治療法が確立されていながら、医療が行きわたらないために結核等によって落命するする人々の存在、経済的・社会的格差に起因する諸問題、人種・性別・民族・出自などにまつわる様々な差別、環境破壊が引き起こす様々な被害など、不条理な苦痛を強いられて自己表現を阻まれ、その意味で暴力が存在しているにもかかわらず加害者が特定できない状態のことである。戦争・紛争だけでなく、これら「構造的暴力」を克服することなしに真の平和はあり得ないというのがガルトゥングの主張である。そのためには経済的・社会的格差の問題、被差別少数者・集団を巡る問題、公害・環境破壊問題など、現実におこっている構造的暴力の解明に努めなくてはならず、そのためには幅広い分野を学ばなくてはいけないのである。第5章でそのことを取り上げられている。当時四国学院大学(香川県)でそのような試みが行われていたのは驚きだが、言い出しっぺである岡本三夫氏(現:広島修道大学教授)、横山正樹(現:フェリス女学院大学教授)が去ってからは、同大学に「国際平和学コース」がなくなってしまったのは残念である。カリキュラム抜粋を見ると、当然の事ながら国際関係の科目にウェートが置かれているが、’80年代に南米で盛んだった「開放の神学」、当時としては最新の学説だった「マイノリティー論」「フェミニズム論」などが扱われているのがユニークである。また平和学特講の中には「ガンディーの思想」が取り上げられている。これは、ガンディーの「非暴力思想」を研究するためのものだろうと思われる。また学校内の座学にとどまらず、「国際平和学研修」という科目を設けて、実際に現地を訪れて生徒の目で確かめようという活動も行っていた。この活動は明治学院大学の国際学部にも受け継がれているようだ。

 最近は各NGO団体も「スタディーツアー」と称して、現地の実情を見てもらおうという活動が活発だ。ピースボートの成功がきっかけになったのか、各NGO団体も自分たちの主張を知ってもらうだけでなく、現地に連れて行って興味のある人

と、現地の人との交流と相互理解を深めようという企画も増えてきた。四国学院大学の試みも、狙いはそういうところにあるのではないかと思う。

 第6章、第8章、第9章では理系の分野からの平和教育が取り上げられている。この本が書かれた当時はオカルトや超魔術がブームの時代で、科学の分野から見るとそういうのはあり得ないと言うことを理解させるために苦労した形跡が、この本から見て取れる。「超魔術」を社会における「不合理」に見立てている点が、いかにも理屈を重視する理系の研究者らしい。特に第6章ではこれが顕著である。理系からのアプローチということで、やはり避けられないのが核兵器だが、必ずしも講師の一方的な話だけでなく、学生の感想を聞くなどコミュニケーションを取りながら授業を進めているというのがわかる。

 最終章では学生生協における平和運動の試みがあげられている。キーワードは「連帯」、それも緩やかな「連帯」ある。従来の平和運動は堅苦しく、しかもやたらと感情的な部分が目立ち、それが「平和運動」に対する嫌悪感を持っていた人間も多かったのではないか?平和運動というとあのシュピレヒコールというのがイヤだ、さも俺たちは正しいんだという態度をとっているからイヤだという意見が目についたのだが、’80年代後半からは従来の形とまた違った、新しい形の平和運動をやっていこうという動きが少しずつ目立ってきた。今ではChance!などに代表されるように「立場を乗り越え、自分たちにできる形で平和を訴えていこうというのが大多数だが、その新しい息吹が今から10年以上前にあったということは驚きである。

 にもかかわらず私の目から見て、’90年代前半は平和運動は停滞気味だったようなような気がしてならないのである。だがインターネットが積極的に市民運動の世界に取り込まれるようになって、市民運動は徐々に息を吹き返した。’99年のハーグ国際会議の成功、そしてハーグ平和アピールに日本国平和憲法第9条の精神が盛り込まれ、新しいプロジェクトが続々と立ち上げられられている。「国際平和旅団(PBI)」の精神を盛り込んだ「国際非暴力平和隊」、「ハーグ平和教育キャンペーン」などであり、ユネスコも「平和の文化」プロジェクトを立ち上げた。そして「9・11」以降、平和を求める声はますます高まっている。今はただ「平和」を訴えるだけでなく、平時から教育等を通じて平和について考えていこう、貧困を撲滅するためには、調和のとれた発展とはどういう事かについて考える人間も増えてきた。アフガン復興とその復興会議でNGOが重要なファクターになっているのはは誰の目にも明らかだ。

 この本は、「平和学」について様々な分野から考えるにはぴったりの本だと思う。

 最後に、以下の文章を引いて幕にしたい。

 「好きなもの、たくさんの木々や花、川、そしてすべての人間を苦しい目にあわせるものは許さない。たくさんの命や、これから出会う人々、景色を、可能性を信じている」







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