「2016年11月の読書リスト」

今年も、カレンダーが残り1枚になってしまった。

こんなにわくわくしない年末年始は経験がない。

右傾化し、人種差別が公然とはびこる社会。

縮まるどころか、広がる一方の格差。

少子化の影響で、パイがどんどん小さくなる経済。

ワカモノはワカモノで、自分の行動がどんな影響を与えるのかということを考える気配すらない。

マスコミの、政府与党べったりの姿勢は醜い。

知識人やNGOに至っては、自分たちよりもバカな人間、貧乏な人間を小馬鹿にしているとしか思えない。

希望は見当たらず、ひたすら重苦しい空気だけが漂っている。

個人的にいろいろストレスを抱えた結果、先月はとうとう記事を書けずじまい。

まあ、こんな弱小ブログの最新記事を、楽しみにしている奇特な人もいないだろうけどね。

さて、先月読んだ本の紹介。

10月に読んだ本の紹介より先になってしまったことを、当ブログを訪問してくれた人にお詫びしたい。

コミックは、いずれ改めて感想を書く(書けるのか?)。

青の数学

「数学」にとりつかれた高校生たちを取り巻く世界を扱った群像劇。テーマがテーマだけに、ここで繰り広げられる世界を理解できる人は、おそらく数学が好きな人、理系的な思考に長けている人に限られるだろう。世界観も文体も「わかる人だけついてくれればいい。わからないヤツのことは知らん」という雰囲気が滲み出ている。もっとも、この作品の「独特な文体」は、読書界から「クセが強い」と評価される「魔法科高校の劣等生」の作者が織りなすそれとは、次元が全くが異なる(理由はいうまでもない)。本作の登場人物の目標は「数学オリンピック出場」であり、そのために彼らは己の能力を最大限に振り絞る。1対1の決闘形式あり、タッグマッチの対戦ありという試合形式は、スポーツと何ら変わりない。ある少年は問う。「なぜ数学をするのか?」と。そもそも、この問いには正解というのがないのかも知れない。「マニュアル」という概念が隅々まで浸透したことで、人々は手軽に「正解」をほしがるようになった。だが彼らにとって「数学」とは「生き方」そのものなのだと思えるのである。「人生」に正解などないということを、作者は一番訴えたいのかもしれない。

社会学がわかる。

1996年に出版された、大学生向けの社会学入門書。「社会学とはなんぞや?」と聞かれたら、大人たちは何と答えるだろうか?「社会についての学問」と答えても、質問者はおそらく納得するまい。下手をすると堂々めぐりの禅問答のようになり、質問者と回答者の間に軋轢が生じることになる。すると、ある人は「お前だったら、どう回答するんだよ?」と突っ込んでくるに違いない。冒頭に出てくる25人は「学び方」について熱く語っても、多くの読者が求めているであろう「社会学とはなんぞや?」という質問には答えてくれない。その答えは、第二章にあたる項目をご覧いただきたい。女性の社会進出、医療問題、外国人の出稼ぎ、異文化交流、そして青少年が抱える問題。これらの問題は、20年以上前から再三にわたり指摘され論じられているにもかかわらず、解決に至る道筋が見えないと感じるのは私だけではあるまい。我が国おける社会学の第一人者・見田宗介氏は「社会学は『越境する知』である」と書いているように、現代社会を読み解くには、さまざまな角度からの知識が必要である。にもかかわらず、現在の社会学者たちは己の専門という名のタコツボに閉じこもっているのはなぜか?「海外社会学事情」の項目では、この学問の礎が「哲学」に基づいていることがわかるだろう。政治にしろ学問にしろ、今の日本が衰退しているように思えるのは、ひとえに日本人が「哲学」という概念を軽んじすぎたからでは?と思ってしまうのである。

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「2016年4月の読書リスト」

今年も1/3が経過した。(←「昨年と同じ書き出しじゃねーか!」というツッコミはヤボというものです。ここの管理人さん、それほど頭はよくないので)

だが昨年同様希望の光が見えないどころか、日本は本当に破滅するのでは?という恐怖が日ごとに増してくる。

14日に熊本を中心に発生した地震は、今日(2016年4月30日)現在1,000回以上も余震が起きている。

厄介なことに、今回の余震はおさまる気配がない。気象庁も「想定外の事態」だと茫然自失、対策のとりようがないと匙を投げている。

相次ぐ余震のために、車の中で一夜を過ごすという生活を送る住民も多い。余震による自宅崩壊、それに起因する圧死を避けるためである。

車の中で一夜を過ごす危険性は、誰もがみなわかっていることである。実際エコノミークラス症候群で、複数の被災者が命を落としている。

従来の耐震基準も、今回は役に立たない可能性が大きい。ひっきりなしに起こる地震のために、建物にかかる負荷が蓄積し、ちょっとした地震で建物が崩壊する可能性が高まっているからだ。それなのに、安倍政権の動きは思い。「3.11」の時ですら、地震発生翌日に激甚災害指定されたのに対し、安倍政権が熊本地震を激甚災害に指定したのは先月25日。ここまで遅れたのは、その前日に衆院選挙補選が行われ、それを受けて「私が決断した」という形をとりたかったからとも、熊本県知事との関係が悪かったからだといわれているが、さて真相はいかに?

さてさて、先月読んだ本の紹介。

興味の方向が、社会科学から自然科学にシフトしているのは気のせいではなく、あえてそうしているのです。

 

数学する身体
数学する身体

森田真生

読了日:04月01日

評価5

 

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西の魔女が死んだ

新潮社
発売日:2001-08-01

中学生のまいは、祖母が死んだと聞かされ、母の車に乗って祖母の住んでいる田舎に向かう。

車中でまいは、2年前に祖母と暮らした日々を思い出していた。

中学校に入ったばかりのまいは、登校拒否になり、自宅に引きこもっていた。

まいを心配した母親は、田舎に住むまいの祖母のところに、しばらくまいを預けることにした。

祖母は外国人の血を引いており、普段から自分のことを「魔女の血統を引く」とまいにいっていたので、まいは祖母を「西の魔女」と呼んでいた。

祖母の家に着いたまいは、早速その日から「魔女修行」を始める。

祖母のいう「魔女修行」とは、毎日決まった時間に食事をし、決まった時間に起き、決まった時間に寝ること。

そして、自分のことは自分で決め、一度決めたらやり通すということ。

まいが不登校になったのは、夜更かし朝寝坊を繰り返すという、生活習慣の乱れが原因だった。

夜更かし朝寝坊は、まいの持病だったぜんそくの悪化を引き起こした。

まいが「西の魔女」のもとにやってきたのは、祖母にまいの乱れた生活習慣を立て直して欲しいという願いもあったのである。

祖母はまいに「精神力をつけなければならない」という。彼女のいう「精神力」とは、正しい方向をきちんとキャッチするアンテナをしっかりと立てて、身体と心がしっかり受け止めるということ。

「座禅を組んだり迷走をしたりしないの?」

という質問に対して

「いきなりバットを振って肩を脱臼するようなもの」

と諭す祖母。

自宅の掃除をし、洗濯を手伝い、鶏の世話をし、ジャムを作り、畑でとれた新鮮な食べ物を食べる。

「西の魔女」が口にするこれらの「修行」を忠実に実行するまい。

「スローライフ」と「地産地消」を地でいくような生活のおかげで、まいは、心身共に健康を回復していく。

しかし、近所に住む男の存在が原因で、まいと祖母の間にわだかまりが生じる。

きっかけは、可愛がっていた鶏が食い殺されたこと。

その男が飼っている犬が犯人だというまいに対し、祖母はそれを否定する。

二人は激しく口論し、激高した祖母はまいに手を挙げてしまう。

以後、まいは祖母に対してわだかまりを持つようになる。

だが、それはまいの誤解だったことがわかり…====

この本で描かれる世界は「田舎暮らしのすばらしさ」。

現代人は疲れている。

食べ物は、得体の知れない物質が多数含まれている。

学校生活も、子供にとってはストレスにつながる。まいが祖母に学校内における女子生徒との交友関係の難しさを語る場面があるが、その場面は現実の学校生活をありのまま描写したものである。

先ほど書いたとおり、まいは祖母の住む田舎で暮らすことで、心身の健康を取り戻していく。しかし、この本では「田舎暮らし」を必要以上に賛美しすぎているような気がする。田舎には田舎ならではのルールや価値観があるし、どんな人でも馴染めるわけではない。まいと祖母の諍いは、都会人と地方在住者の価値観の違いが背景にあると思う。

また、この本で示される「死生観」はユニークである。

祖母は「魔女は、十分に生きるために死ぬ練習をしている」という。そして魂の本質は「成長すること」とまいに説く。まるで禅問答をしているようで、簡単に理解できないのだが、何度も読み返すうちに理解できるだろうか。

この本は児童書として出版されたが、書かれていることは「児童」にはわかりにくいところもある。

しかし大人が読めば、この本は「哲学書」「人生読本」になるし、しつけの本、家庭教育の本としてもとらえることができるという、ユニークな本である。

「アイ・ノウ(わかってますよ)」。

祖母がまいに言う言葉には、孫に対する深い愛情がにじみ出ている。

モノがあれば、子供は幸せになるわけではない。

愛情がなければ、子供は幸せにならない。

祖母のまいに対する態度は、子育てに悩む人にひとつのヒントを与えてくれるだろう。

悲しくなった時。

つらくなった時。

そんなときにこの本を読めば、「西の魔女」はあなたににっこり笑っていうだろう。

「アイ・ノウ」

と。

P.S

この本を見て「園芸やってみたい

「田舎暮らししてみたい」

と思う人は、絶対いそうな気がする…

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