「2015年10月の読書リスト」

気がつけば、今年もかレンダーがあと2枚という時期になった。本当にあっという間である。

「あっという間」といえば、この国の「戦前化」も急スピードで進んでいる。先日も某書店チェーンが企画したフェアに「ネトウヨの抗議が殺到し、フェアが中止になる事態に追い込まれた。新聞を見ていたら、戦前の様子を知る人が

「言論統制は『上から』ではなく、国民が上の意向を忖度することからはじまる」

という趣旨のコメントを出していたが、これは本当だと思う。戦後に戦線拡大の責任を問われた旧日本陸軍幹部が

「君たちがさんざんあおったからではないか」

と答えたそうだが、これは本当だと思う。今の風潮に、メディアが手を貸しているのは間違いない。

それでは、先月読んだ本のご紹介。

先月は結構読んだな。

集団的自衛権はなぜ違憲なのか (犀の教室)集団的自衛権はなぜ違憲なのか (犀の教室)

読了日:10月3日 著者:木村草太,國分功一郎
早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした

読了日:10月4日 著者:小林拓矢
モア・リポート―新しいセクシュアリティを求めて (集英社文庫)モア・リポート―新しいセクシュアリティを求めて (集英社文庫)

読了日:10月13日 著者:
美しい国へ (文春新書)美しい国へ (文春新書)

読了日:10月20日 著者:安倍晋三
ちはやふる(29) (BE LOVE KC)ちはやふる(29) (BE LOVE KC)

読了日:10月21日 著者:末次由紀
楽園のカンヴァス (新潮文庫)楽園のカンヴァス (新潮文庫)

読了日:10月27日 著者:原田マハ

集団自衛権はなぜ違憲なのか?

「報道ステーション」コメンテーター(月曜日担当)でおなじみの、新進気鋭の憲法学者による最新刊である。筆者はこの本では、安倍内閣が推し進める「安保法案」の危険性について、わかりやすい言葉で解説している。「本を燃やそうとしている人間は、いずれ自国の憲法を燃やそうとするだろう」という言葉にはゾッとさせられるが、この内閣がこのまま安保法制を強引に推し進めようとすると、早晩国内外で立ちゆかなくなるのは、火を見るより明らかなことである。「法的解釈の安定性」についての意見は必読。この概念を否定するということは、条約の解釈すら自分たちの都合のいいように解釈する可能性もある。それは諸外国との外交関係にも重大な齟齬を来す可能性にもつながるということを、筆者は指摘する。だがほぼ全員が「知性を持つ者」に反感を抱くこの政権は、自分たちの都合の悪いところにはとことん頬被りを決め込むだろう。「この道はいつかきた道」にならないことを祈るしかない。

早大を出た僕が入った3つの企業は、すべてブラックでした

自らのことを「氷河期世代を代表するフリーライター」と自称するライターの、初めての単著である。

ただし、これを今問題の「ブラック企業で働き、身も心もボロボロになって退職した人間が書いたルポルタージュ」と思って読んではいけない。「自分は苦労して早稲田を出たのにまともなところに就職できず、生活のためにやむを得ずこんなちんけなところに就職した。だがそこは自分が思っていた会社ではなく、周りがバカだから自分の考えている仕事が何一つできない。だから悪いのは自分ではない」という恨み辛みを、延々と書き連ねているだけの駄本である。「ブラック企業」と思っているのは本人だけ、むしろ私は、彼みたいな人間を「一人前の社会人」に育成しようと奮闘していた、上司や先輩の苦労はいかばかりかと思ってしまうのである。====

モア・リポートー新しいセクシュアリティを求めて

先日このブログでも紹介した「モア・リポートー女たちの生と性」の後半。このアンケートには、5,000人を超える読者から回答が寄せられた。この本からは、彼女たちが「性」について思うところを、自分たちの言葉で赤裸々に語っている。興味深いのは「オーガズム」についての部分。彼女たちの意見を読んでいると、巷に溢れている官能小説の性表現が、以下に陳腐でいい加減であるかということが実感できる。オトコが想像する「性」とオンナが実感する「性」とのギャップ。そして彼女たちの多くは、世間や多くの男性が求めているものと、自分たちが求めているものとのギャップに苦しんでいることがわかる。初回のアンケートから30年あまり。この企画に協力してくれた女性たちは、30年前の自分をどう思っているのかを知りたい。

美しき国へ(2006年版)

現総理・安倍晋三の第一次内閣発足時にあわせて発行された新書。現職の総理大臣がこのような新書を出すのは極めて異例であり、当時はかなりの売れ行きがあった。時の総理が何を思い、現状をどう認識しているのかをしりたくて買った人が多かったと思うのだが…この本で書かれている内容に失望した人は多かっただろう。彼の思考を一言でまとめれば「日本大好き、祖父大好き」。時代はグローバル化が進んでいるのに、今だ「国ありき」という思考回路。経済でも環境でも「一国」だけで解決できない時代を迎えつつあるというのに。それにしても、この本で書かれていることと、国会答弁における対応があまりにも違いすぎる。この本は「俺は世間一般でいうところの『極右』じゃない」とアピールするだけに存在している?だとしたら、ネット上における評価が両極端なのも納得。

ちはやふる(29)

表紙にヒョロがでていることからもわかるように、この巻は「ヒョロの、ヒョロによる、ヒョロのためのエピソードが満載である。自らが弱いと自覚しているからこそ、下級生の心に寄り添い、彼らを一人前の戦力にする。彼の存在は「リーダーのあるべき姿」といえるかも知れない。そして「札全部が真っ黒に見える」といっていた太一にも復活の兆しが。だがかるた部をああいう辞め方をしたことが彼の負い目になっているようだ。千早たちに勝利の女神が彼らに微笑んだのは、まさに奇跡としか言い様がないが、このままでは全国大会で赤っ恥をかくのは確実。ここからどうやってチームを立て直していくのだろうか?そして詩暢の「かるたのプロになりたいんや!」という叫びが痛々しい。彼女の願いが叶えられますように。

楽園のカンヴァス

19世紀フランスの画家アンリ・ルソーの晩年の傑作「夢」にまつわる背景を主題にしたミステリー小説。ルソーが描いたという絵画「夢を見た」の真贋鑑定を、絵画コレクションの世界で有名なコレクターから依頼されたのは、新進気鋭のルソー研究者とMoMA(ニューヨーク近代美術館)のキュレーター。果たしてこの絵はルソーの作品なのか?はたまた何者かがルソーの名を借りて描いた作品なのか?そして、この依頼をしたコレクターの正体は?

著者は大学で美術史を専攻し、美術館の楽ゲインを経て森美術館の立ち上げに関わり、その課程でMoMAに出向経験があるため、美術館やコレクションの裏事情もふんだんに盛り込まれている。解説を担当した高階秀次氏によれば、古来から美術品は窃盗団のターゲットにされやすかったとのこと。現在「行方不明」とされている作品の多くも、彼ら「闇マーケット」関係者の間でやりとりされているのだろうか?

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彼は「氷河期時代を代表するフリーライター」を自称するが、彼みたいな人間が「氷河期世代」の代表だと思われてはたまらない。

これは明くまでも、筆者自身の「恨み辛み妬み僻み憎しみ」をまとめたものであると思った方がよい。

 

「氷河期時代を代表するライター」を自称するジャーナリスト・小林拓矢の初の単著である。

小林は1979年山梨県生まれ。山梨大学教育人間科学部附属中学校駿台甲府高校ー早稲田大学という、世間一般がうらやむようなエリートコースの経歴の持ち主である。大学4年と5年(つまり、就職活動のために1年留年した)の時に朝日新聞を受験したが不合格になり、就職先が未定のまま「社会」という名の荒野に放り出された。

大学卒業後、都内のハローワーク主催の山梨県出身者を対象にした企業説明会に参加し、県内のIT企業の社長に見込まれ「社会人デビュー」を果たす。だが入社したものの、来る日も来る日もプログラミングの課題をこなす毎日。本人なりに頑張っていたのだろうが、会社上層部は彼をこの職種に不向きと判断したのだろう。研修期間中に「解雇」を言い渡される。

次に入ったのは、為替証拠金取引の会社だった。担当業務は「顧客に対する電話営業」だったが、実際は電話帳で資産を持っていそうな顧客を探し出し、電話をかけて取引をするようお願いするという仕事だった。就業規定では朝9時始業のはずが、実際は朝7時に出勤し、当日のノルマが達成できなければ深夜まで会社にるのが当たり前という社風だった。当然こういう会社では、残業代は一円も出ない。社内の雰囲気になじめない(なじめる方がおかしいのだが)彼は社内でいじめの対象になり、心身ともボロボロの状態になっていく。「新聞記者になる」という夢に拘っていた彼は、忙しい業務の合間を塗って試験に臨むが、彼を受け入れる新聞社は現れないまま、退職してフリーライターになる決心をする。しかし仕事の依頼は少なく、生活に窮した彼は山梨に帰郷し、仕事の時だけ上京するという生活を送る。

3社目の会社で、彼は念願の「記者」という仕事にありつく。だがこの会社でも彼は「精神的な虐待」を受け続けたあげく、鬱病を発症してしまう。結局彼は1ヶ月ほどでこの会社も退職し、再び山梨に帰郷する。====帰京後彼は、この連載のもとになる記事をブログに綴る。細いコネを頼りにこの記事を企画書にまとめ、あちこちの出版社に売り込む。しかし実績不十分のフリーライターの企画を受け入れる奇特な出版社はいない。その後フリーのライターとして実績を積み、名前を知られるようになった彼は「就職氷河期に就職できなかった学生が、今どんな生活を送っているか」をテーマにした連載記事をブログで発表する。この本は、彼が運営するブログ「他山の石書評雑記」に30回にわたって連載した「就活失敗~結局、正社員になれなかった」というタイトルの記事を書籍化したものである。

しかしこの本は、著者が「味方・同志」と思っている「氷河期世代に学生だった」世代から猛烈な反発をあびる。彼が開設していたTwitterやFacebook、そしてこの記事を掲載していたブログには、彼に反対する抗議の意見が殺到し炎上する。Facebookのフィードは「友人限定」に変更し、Twitterは公開→非公開を繰り返したあげく現在では非公開になり、ブログは事実上の閉鎖に追い込まれた。それは本書で

「自分は早稲田を出たのに一流企業に就職できず、これだけ酷い目に遭ってきた。だから会社が悪い、俺は悪くない」

と、事ある毎に強弁を繰り返しているからだ。

なるほど、森永卓郎・獨協大学教授が日刊ゲンダイの書評で指摘しているとおり、確かに2つめの会社はブラック企業である。この会社は、筆者が退職してまもなく違法取引で警察に摘発され、それが原因で倒産する。この会社が行っていた「電話営業」というのは、詐欺すれすれ(というより、この記事を読む限りでは「詐欺そのもの」)の営業だった。下手をすれば、彼自身も「犯罪関係者」として指弾される可能性があったのである。摘発前に退社を決断した彼は、運がよかったというより、詐欺に近い営業活動に、彼の良心が悲鳴を上げたというのが正解だろう。

これに対して1社目のIT企業と、3社目の業界紙を「ブラック企業」と認定するには疑問がある。日本の会社の99%は「中小企業」だが、ほとんどの中小企業は日々目の前の利益確保に追われ、人材育成・社内の設備投資にエネルギーを割くことができる会社はほとんどない。彼を採用した社長は

「早稲田を出たのだから、当社の業務を理解できる能力はあるに違いない」

と考え即戦力となれる人材と判断したから、筆者の採用を決めたのだろう。だが実際にはプログラミングの問題を解かせてみると、彼はその内容を理解するのに四苦八苦。何しろ、必要なソフトをPCにインストールするのに難渋するのである。これではこの業務をさせるのは難しいと、人事担当者に判断されるのもムリはない。人事は

「まだ若いのだし、傷が浅いうちに引導を渡した方が将来のためだ」

と思って彼に解雇通告を下した。会社側から明らかに「能力不足」という判断をしたのに、彼は逆恨みしたあげく、ハローワーク主催の別の就職セミナーで再会した人事担当者に詰め寄るという騒動を起こしている。こんなことをしたら、ハローワーク担当者から目をつけられるかも知れないと思わなかったのだろうか?

3社目の業界紙の件に至っては、彼の行動はとても同情できない。自分で実績があると思っていても、その会社に入った以上は「新人」として、その会社のやり方にあわせるべきだと思うのだが、彼にはそれができない。上司・先輩から指示を受ける→やり方が気に入らないと反発する→周囲から叱責される、の繰り返し。筆者は大学で社会学を専攻し、業界紙入社前は、フリーライターとして活動していたから、その知識が「組織人」として生きることの妨げになったことは否めない。上司・先輩をバカだと罵り、そのやり方は学問的には間違っていると彼は述べるが、上司や先輩・同僚から見たら、筆者みたいな人間は扱いにくい鬱陶しい存在だったに違いない。だからこそ会社は(著者が言うところの)ムチャクチャな仕事を彼に振った。こんな面倒くさいヤツの面倒は見たくない、ムチャクチャな仕事を振ったら退職するだろうと、会社側は思っていたのだろう。だが被害妄想に囚われていた彼には、会社や先輩に対する恨み辛みをいっそう募らせていく。

本書を読み進めていて腹が立った部分は、業界紙で彼がやらかした「得意先に対する電話応対」のトラブルについての記述である。先方が激怒して今後の取引を打ち切ると通告し、先輩や上司が、筆者に対して電話に出ることを禁止すると通告したのだから、彼はよほど先方に失礼な応対をしたとしか考えられない。なのに彼はこの会社をネットで検索し、この会社が自民党の大物政治家が経営に関与しており、この会社が社員にパワハラ行為を働いていたと逆ギレする始末である。自分のしでかしたことを棚に上げ、ひたすら「俺は正しい、俺を理解してくれない世の中や会社が悪い」といっても、誰も同情してくれないのは当然のこと。著者が会社内で孤立する事態になったのも、はっきり言って自業自得としかいいようがない。

さすがに本件では、ずっと彼を応援してきた人間も違和感を覚えたのだろう。何しろこの記事では、彼が先方にどんな電話応対をしたのか、一切書かれていないからだ。ブログに記事が掲載されたとき、ブログ読者の一人がTwitterにて

「どんな電話応対をしたのですか?あなたにも非があったからではないですか?」

と質問してきたが、彼はその質問に対して誤読だと居丈高に反論し、自分は悪くないと強弁してきたのには驚いた。どうやら彼は自分の都合の悪いところは徹底的に隠し、ひたすら相手の日を責め立てる性格の持ち主のようだ。 これでは知人・友人でも、彼を理解し支援するのは難しいだろう。

この本を読んでいて、彼が「正社員になれなかった」のは、就活の方法にも問題があったのではないか、と思っている。朝日新聞に入るのは、並大抵のことではないことはわかっているはずだから、他の新聞や雑誌社・出版社に入社し、そこで経験を積んでから改めて朝日新聞を目指した方がよかったのではないか。彼が言うところの「ジャーナリズム」にこだわるのならば、テレビやラジオの世界も志望対象に入れた方がよかったのかも知れないし、「書くこと」が最大の目的だったら、業界紙や広告業界でもよかったはずである。いずれにせよ、彼が正社員に慣れなかったのは視野の狭さが災いしたことは確かである。

彼が就職できなかったのは不運だと思う。だがそうなったのは、彼の性格と考え方にも原因があると断言できる。本書から滲み出る被害妄想と視野狭窄のおかげで、ネット上では「この本自体が炎上商法」と言われる始末であるが、とりあえず知名度アップには成功した。だがその性格と考え方を改めようという姿勢を見せない限り、仕事の幅は広がらないだろう。

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太田出版
発売日:2007-03-13

 

雨宮処凛は、「右翼」の人間として世に出た人である。

初期の頃の著作に「ミニスカ右翼」という枕詞がつくのは、そのためである。

ところがイラク戦争(2003年)をきっかけにして、彼女の思想は「右」から「左」へと転換する。

近年は「ワーキングプア問題」に積極的に関わり、現在は「反貧困ネットワーク」副代表を務めている。

「ミニスカ右翼」がなぜ「反貧困」を叫ぶようになったのか?

その原点が、この本にぎっしりと詰まっている。

なぜなら、彼女自身が「階層の固定化」の波に巻き込まれかねなかったから。

今でこそ「作家」として名前が知られている彼女だが、高校時代は美大への進学を希望していた。

ところが当時住んでいた田舎では、美大志望の高校生がどんな勉強をしているのか全くわからない。美大予備校に通うために上京するが、東京の美大予備校は地方のそれよりも遙かにレベルが高く、美大進学をあきらめ「フリーター」への道をたどることになる。

その後はアルバイトを転々とするが、いちばんつらかったのは「フリーター」というだけで社会的信用がないということを実感したことだった。お金が足りないと、真っ先に疑惑の目を向けられるのは「フリーター」である。求職のために電話をすると、先方から「フリーターお断り」と一方的に断られたこともあった(私にも全く同じ経験をしている)。「風邪を引いたから休む」といったら、雇い主から「明日からこなくていい」と解雇され、別のバイト先からは「経営が苦しいから」辞めてくれといわれたこともある。当時の境遇を、自分の努力不足だとあきらめていた作者だが、今は自信を持っていえる。「これらの行為は、労働基準法違反だ」と。====

「夜の社会」にどっぷりとつかり、将来性が全く見えなかったある日、たまたま「作家デビュー」の機会を得てフリーターから脱出することができた作者だが、彼女はそのことを

「ただの偶然に過ぎず、奇跡が起きなかったら、私は未だにフリーターのままだったろう」

と述懐していることから、彼女にとって「フリーター」の時代は、思い出すのも嫌な時代なのだということをうかがい知ることができる。

しかし、彼女が「フリーター」という選択をした’90年代後半は、「フリーターは新しい働き方のモデルを示すものである」という評価をされていた。メディアはこぞって「『フリーター』という生き方は代わり映えしない『サラリーマン』的生き方を否定するものだ」とはやしたてた。求人誌には、フリーターの気持ちを代弁しているキャッチコピーが踊っていた。しかし、うわべだけの「自由」の代償として、年とともに賃金格差が拡大すること、生活が安定しないことを指摘するマスコミは、当時皆無に近かった。またフリーターでも労働基準法によって権利が守られていること、年金に加入できることを指摘するメディア・識者もほとんどいなかったと記憶している。「派遣切り」「雇用劣化」の芽はこの時代にまかれていたのだが、これらのことを指摘せず、今になって「派遣切り」「雇用崩壊」と騒ぎ立てるメディア・識者には本当に腹が立つ。

では、「正社員」になれれば「安定した生活」を手に入れることができるのか?

答えは「否」である。

作者の弟は、大学を出てフリーターを経た後、地元のY電機(本書ではイニシャルだけしか明記されていないが、内容を見る限り「ヤマダ電機」のことだと推察される。本文中でイニシャル表記になったのは、ヤマダ電機の圧力を恐れたからだとしか思えない)に契約社員として就職し、1年後には念願の「正社員」に昇格するが、社員になったらなったで、毎日のように早朝出勤・深夜残業。それが連日のように続き、顔には死相まで表れた。家族の説得で会社を辞める事になったが、彼は最終出勤日は午前4時まで働かされた。「もっと早く帰れないのか?」と疑問に思う人も多いだろうが、店長も毎日深夜まで働いているため、部下はそれより早く帰宅できないのだ。彼の月収は手取りで32万、1時間あたりに換算して、時給700円という事実に、作者は憤りを覚える。

法令無視の労働環境で社員をこき使い、労働基準監督局の査察が入らないよう、出退勤のシステムに巧妙な仕掛けをする。社員の家族が労基局に訴えても、労基局職員はなんだかんだと理由をつけて動かない。社員をぼろぼろにこき使って使い捨てる一方で、会社の株価は最高値をつけ、自分の子供が交通事故死した時には「将来の社長候補」という理由で、相手に高額の損害賠償を請求する。「普通に就職して、普通に働きたい」と希望する若者に対する、経営者の仕打ちがこれかよ!と思わせる事例の数々には、本当にあきれる。労働者を「人」ではなく「モノ」としか見ていないからだ。

新刊紹介雑誌「ダ・ヴィンチ」での書評欄で、「ネットカフェ難民」を扱うドキュメンタリーは、現代のホラーだと書かれた一文を見た。「ホラー」も、映像の中にとどまっているうちはまだいい。嫌だと思ったら、見なければいいだけの話だ。だが現実世界に「ホラー」の概念が生まれたら?いや、今の労働環境は「ホラー」よりもひどい。働かず、家に引きこもる人間に世間は「落伍者」「怠け者」のレッテルを貼り、「自己責任」という概念でバッシングを正当化する。それが「命」を守る目的であっても。

作者自ら「労働」で塗炭の苦しみを味わっているだけあって、この本に取り上げられている事例には説得力がある。虐げられる者は立ち上がって抵抗せよ、と主張する。一読して、表現がとげとげしいという人間がいるかも知れないが、逆に彼等をそのような状況に追い込んだのは誰なのか、徹底的に追求する姿勢を見習いたいと思う。

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