「2016年3月の読書リスト」

無我夢中で世間の荒波を乗り越えていたら、あっという間に4月である。今年も⅓が経過したということである。だがその実感はない。

それにしても、次から次へと国民に喧嘩を売っている安倍政権に呆れてしまう。今度は「保育所」の問題で爆弾が破裂した。

保活(保育所を探す活動ー認可・無認可問わずーを、世間一般ではこう呼ぶ)のストレスがたまった一人の母親が「保育所落ちた日本死ね!!!」という記事をブログに書いたところ、その記事が国会で取り上げられて大騒ぎ。本来なら野党議員の指摘に対し、平身低頭するのが筋ってものなのに、安倍はよりによって「誰が書いたかわからない」と答弁し、与党議員も援護射撃のつもりか、口汚くかつ品性を疑うヤジを飛ばしたからさあ大変。Twitter上では「#保育所落ちたの私だ」というタグができるわ、もともと保育士は給料が安い割に激務だというので人材定着がうまくいかず、これまたTwitterで「#保育士辞めたの私だ」というタグができて、ネット上は大騒ぎに。そんでもって、今回も国会前でママさん、現役および元保育士らが人が国会に集まり「保育所落ちた〜」「保育士辞めた〜」というプラカードを掲げてシュプレヒコールの大合唱。それでもママたちの怒りは収まらず、街頭署名を集めて議員に請願したが、さてさてこの先どうなることやら。おそらく安倍は「参議院選挙までに、彼女たちの怒りは収まっているだろう」とタカをくくっているに違いない。牧伸二が生きていたら、この話題もネタにして「あーあやんなっちゃった あーあ驚いた」といっていたのだろうか?

閑話休題。

このブログも、先月で閲覧数が5桁を突破したようだ。カウンターを設置したのが一昨年の6月。各SNSで活発に宣伝攻勢をかけたのは半年くらい前なので、このブログもそれなりに認知度が高まっているのだろうかと、少しばかり嬉しく思う。以上、プチ自慢でした(苦笑)。

それでは、先月読んだ本の紹介である。

 

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2014年3月の読書リスト

今月から、消費税が5%→8%に上がった。

1,000円の本を買ったら、本体価格の他に80円税金を払わなければならないということである。

本だけでなく、物価全体も上がるというのに、肝心の給料が上がる気配がまるでない。

さらに頭にくるのは交通費で、切符をバラで購入するのは10円単位で値上がりし、Suicaを利用する場合は1円単位で税金(+運賃)を徴収するという「二重運賃」体制になってしまう。つまり、遠距離を利用する場合はSuicaの方が安いケースが続出するそうだ。

こうなると「アベノミクス」って、いったい何だ?と思ってしまうのだが、それを疑問に思う国民はほとんどいない。いや、思っていても口に出さず、ただ周りに同調しているだけか?

というわけで、先月読んだ本の感想である。

2014年3月の読書メーター

読んだ本の数:6冊

読んだページ数:1546ページ

ナイス数:0ナイス

家族八景 (新潮文庫)家族八景 (新潮文庫)

読了日:3月1日 著者:筒井康隆
戦争社会学ブックガイド: 現代世界を読み解く132冊戦争社会学ブックガイド: 現代世界を読み解く132冊

読了日:3月7日 著者:
カブキブ!  1 (角川文庫)カブキブ! 1 (角川文庫)

読了日:3月10日 著者:榎田ユウリ
ぴあ [最終号]ぴあ [最終号]

読了日:3月17日 著者:
キネ旬総研エンタメ叢書 『ぴあ』の時代キネ旬総研エンタメ叢書 『ぴあ』の時代

読了日:3月24日 著者:掛尾良夫
もやしもん(13)<完> (イブニングKC)もやしもん(13)<完> (イブニングKC)

読了日:3月25日 著者:石川雅之

読書メーター

家族八景

筒井康隆の初期の傑作「七瀬三部作」の第一作である。

高校を卒業して以来、住み込み家政婦として働く火田七瀬。

彼女には「人の心を読む」能力があるが、それを他人に知られるのを恐れている。

七瀬が住み込み先で遭遇する事件の数々、そして彼らが抱える心の闇…

この本が出版されて40年以上経つが、家庭が抱える問題は、今も昔も変わらないのだということがよくわかる。

これは家族の問題なのか、それとも社会の問題なのか…

戦争社会学ブックガイド: 現代世界を読み解く132冊

「戦争」について語る場合、専門分野である政治学の視点で語られるケースが圧倒的である。だが「戦争」というのは「政治学」の切り口だけで、真相が明らかになるのだろうか?

この本は「戦争」について、歴史学・ジェンダー・メディア・文化などの視点から「戦争」について読み解こうという試みを集大成した書籍である。中心となるのは、この本のタイトルにある「社会学」であり、その守備範囲はとても広い。本書では「戦争社会学」を「戦争という特定の研究対象を専門的に探求する社会学の学問分野」と定義しているが、残念ながら「戦争社会学」という学問分野は、日本ではまだ存在していないという

(外国では「軍事組織の社会学」という学問分野があるそうだ)。

各項目に1〜2冊が推奨図書として紹介され、巻末に「参考文献」として多数の書籍が紹介されており、それらを加えると、読むべき書籍は軽く200冊を突破する。各項目で取り上げられる書籍は、原則として現在でも入手がしやすいものが中心なのはありがたい。====

カブキブ! 1

歌舞伎が大好きな男子高校生が、学校で「歌舞伎部」を作ろうと奮闘する物語である。

「歌舞伎」をテーマにしているが、歌舞伎の知識が全くない人間でも十分楽しめる学園小説。

主人公は歌舞伎好きの高校1年生で、友達と一緒に「歌舞伎部」を立ち上げようと奔走するが、そこには様々な障害があった。

当初は「部」としての活動をしたかったのだが、とある校内規則のためにそれは叶わず、当初は「同好会」として活動することに。

メンバーが固まり、老人ホームでの公演デビューも決まり、それに向けて稽古を積み重ね、いざ本番…を迎える直前、主人公をアクシデントが襲う。絶体絶命のピンチを救ったのは…というところで、第2巻に続く。

ぴあ 最終号

1972年の創刊以来、エンターテインメントの分野に大きな影響を与え続けてきた情報誌「ぴあ」。

月刊誌として創刊され、その後隔週誌→週刊誌→隔週誌という変遷を辿ったが、「チケットぴあ」のシステムトラブルに端を発するトラブルと、出版不況のあおりを受けて2011年8月、ついに休刊に追い込まれる。本誌はその最終号である。

創刊以来「ぴあ」が力を入れていた映画界だけでなく、芸術・舞台・音楽の各分野で活躍する著名人から、休刊を惜しむメッセージが続々と寄せられていることで、この雑誌が彼らから信頼されていたかがよくわかる。圧巻なのは、最終号を飾る企画として、1975年9月号から最終号まで、一回も休むことなく表紙イラストを描き続けた及川正道のイラストをすべて掲載していること。表紙に取り上げられた人物は、当時話題になった人たち(映画の登場人物を含む)。この表紙を見て「あの時代は、こんな事があったんだなと、当時を懐かしむ人もいるに違いない。

『ぴあ』の時代

「ぴあ」の創刊時、ぴあが運営した「ぴあフィルムフェスティバル」の立ち上げの裏側を中心にまとめめられたドキュメンタリー。

前述の通り「ぴあ」はエンターテインメント全般を扱っていたが、本書は出版元が映画出版社ということもあり、話題は映画関係に限定されているため「絵画や舞台のことについても触れられている」と思って買った読者は失望を感じるだろう。この本を読んで感じたことは「新しい雑誌の立ち上げには、ものすごいエネルギーがいる」ということ。ぴあ休刊についてさらりとしか触れていないことに、違和感を持つ人もいるだろう。

もやしもん(13)

2004年8月の初掲載以来、足かけ10年にわたってゆる〜い展開が続いてきた、農業大学を舞台にした学園マンガ。

152話から「月刊モーニングtwo」に移籍し、その後どういう展開になっているのか気になっていた。先月本巻が発行され田でページをめくっていたら、この巻をもってとうとう最終刊を迎えたなんて…。゜(゜´Д`゜)゜。。

振り返ってみれば、主人公とその仲間たちの1年間を10年近くにわたって書いていたわけだが、このペースで連載を続けていたら、主人公が卒業するまでにかなりの話数を費やすことになるのだろうなと思っていたから、この巻をもって連載を終わるのはちょうどいいかも。

個人的には主人公・沢木とその恋人(?)西野&怖い先輩院生・長谷川とよき(?)先輩・美里の中がどうなるかが知りたかったな。

沢木は、無事に(?)童貞を捨てられたのか(菌どもは「さっさと一線を越えんかい!」と煽っていたが)。

モデルとなった大学は、アニメ版では東京農工大学が登場していたが、作者と担当者は最後まで「『某農大』は『某農大』です」といって明かさなかった。ちなみに沢木たちの担当教官・樹慶蔵教授のモデルは、東京農大の教授だったそうだが…。

個人的には「もやしもん2」としての復活を切に希望している。

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生まれて初めて「ホームページ」なるものを作り

生まれて初めて「書評」なるものを書いた、記念すべき第一作目。

それをそのまま転載します。

平和文化
発売日:1991-03

 出版日を見てもわかるように、これは今から10年以上前に出版されたものである。また、肩書きも当時のものであるということをあらかじめお断りしておきたい。ひょっとしたら、絶版になっているかもしれない。

 管理人はクルーズからの帰国後、ある会合で再会した伊藤教授から手に入れた。この本を読んで、各論者達の平和教育に関する熱い思いを感じることができた。

 1991年といえば、戦後まもなく発生した東西冷戦が1989年に終止符を打ち、やっと世界中が待ち望んだ平和がやってくると思ったのもつかの間、翌年発生したイラクのクゥエート侵攻がきっかけになって湾岸戦争が発生し、その戦争もアメリカの勝利に終わってアメリカの一極支配が始まろうというという時だった。

 アジアでは長年続いたカンボジア内戦がようやく終結し、日本が自衛隊を派遣するかどうかでスッタモンダあげくにPKO法案が成立し、自衛隊の海外派遣に道を開いたのもこの年の出来事である。今年(2002年)にアフガニスタン復興会議が開かれ、各国が支援金額を決めたのだが、この先駆けとなったのはカンボジア復興会議だったということは以外と知られていないのかもしれない。この本が出版された時代背景として、このことを頭に入れておいた方がいいかもしれない。====

 まず気がつくのは、平和学というのはありとあらゆる分野から成り立っているということである。そして、昨今平和学で盛んに語られている「構造的暴力」という言葉は、ノルウェーの平和学の泰斗ヨハン・ガルトゥングによってこの頃から提唱されているというのは驚きである。

 構造的暴力というのは、食料の分配の偏りからくる飢餓、有効な治療法が確立されていながら、医療が行きわたらないために結核等によって落命するする人々の存在、経済的・社会的格差に起因する諸問題、人種・性別・民族・出自などにまつわる様々な差別、環境破壊が引き起こす様々な被害など、不条理な苦痛を強いられて自己表現を阻まれ、その意味で暴力が存在しているにもかかわらず加害者が特定できない状態のことである。戦争・紛争だけでなく、これら「構造的暴力」を克服することなしに真の平和はあり得ないというのがガルトゥングの主張である。そのためには経済的・社会的格差の問題、被差別少数者・集団を巡る問題、公害・環境破壊問題など、現実におこっている構造的暴力の解明に努めなくてはならず、そのためには幅広い分野を学ばなくてはいけないのである。第5章でそのことを取り上げられている。当時四国学院大学(香川県)でそのような試みが行われていたのは驚きだが、言い出しっぺである岡本三夫氏(現:広島修道大学教授)、横山正樹(現:フェリス女学院大学教授)が去ってからは、同大学に「国際平和学コース」がなくなってしまったのは残念である。カリキュラム抜粋を見ると、当然の事ながら国際関係の科目にウェートが置かれているが、’80年代に南米で盛んだった「開放の神学」、当時としては最新の学説だった「マイノリティー論」「フェミニズム論」などが扱われているのがユニークである。また平和学特講の中には「ガンディーの思想」が取り上げられている。これは、ガンディーの「非暴力思想」を研究するためのものだろうと思われる。また学校内の座学にとどまらず、「国際平和学研修」という科目を設けて、実際に現地を訪れて生徒の目で確かめようという活動も行っていた。この活動は明治学院大学の国際学部にも受け継がれているようだ。

 最近は各NGO団体も「スタディーツアー」と称して、現地の実情を見てもらおうという活動が活発だ。ピースボートの成功がきっかけになったのか、各NGO団体も自分たちの主張を知ってもらうだけでなく、現地に連れて行って興味のある人

と、現地の人との交流と相互理解を深めようという企画も増えてきた。四国学院大学の試みも、狙いはそういうところにあるのではないかと思う。

 第6章、第8章、第9章では理系の分野からの平和教育が取り上げられている。この本が書かれた当時はオカルトや超魔術がブームの時代で、科学の分野から見るとそういうのはあり得ないと言うことを理解させるために苦労した形跡が、この本から見て取れる。「超魔術」を社会における「不合理」に見立てている点が、いかにも理屈を重視する理系の研究者らしい。特に第6章ではこれが顕著である。理系からのアプローチということで、やはり避けられないのが核兵器だが、必ずしも講師の一方的な話だけでなく、学生の感想を聞くなどコミュニケーションを取りながら授業を進めているというのがわかる。

 最終章では学生生協における平和運動の試みがあげられている。キーワードは「連帯」、それも緩やかな「連帯」ある。従来の平和運動は堅苦しく、しかもやたらと感情的な部分が目立ち、それが「平和運動」に対する嫌悪感を持っていた人間も多かったのではないか?平和運動というとあのシュピレヒコールというのがイヤだ、さも俺たちは正しいんだという態度をとっているからイヤだという意見が目についたのだが、’80年代後半からは従来の形とまた違った、新しい形の平和運動をやっていこうという動きが少しずつ目立ってきた。今ではChance!などに代表されるように「立場を乗り越え、自分たちにできる形で平和を訴えていこうというのが大多数だが、その新しい息吹が今から10年以上前にあったということは驚きである。

 にもかかわらず私の目から見て、’90年代前半は平和運動は停滞気味だったようなような気がしてならないのである。だがインターネットが積極的に市民運動の世界に取り込まれるようになって、市民運動は徐々に息を吹き返した。’99年のハーグ国際会議の成功、そしてハーグ平和アピールに日本国平和憲法第9条の精神が盛り込まれ、新しいプロジェクトが続々と立ち上げられられている。「国際平和旅団(PBI)」の精神を盛り込んだ「国際非暴力平和隊」、「ハーグ平和教育キャンペーン」などであり、ユネスコも「平和の文化」プロジェクトを立ち上げた。そして「9・11」以降、平和を求める声はますます高まっている。今はただ「平和」を訴えるだけでなく、平時から教育等を通じて平和について考えていこう、貧困を撲滅するためには、調和のとれた発展とはどういう事かについて考える人間も増えてきた。アフガン復興とその復興会議でNGOが重要なファクターになっているのはは誰の目にも明らかだ。

 この本は、「平和学」について様々な分野から考えるにはぴったりの本だと思う。

 最後に、以下の文章を引いて幕にしたい。

 「好きなもの、たくさんの木々や花、川、そしてすべての人間を苦しい目にあわせるものは許さない。たくさんの命や、これから出会う人々、景色を、可能性を信じている」







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