「2016年11月の読書リスト」

今年も、カレンダーが残り1枚になってしまった。

こんなにわくわくしない年末年始は経験がない。

右傾化し、人種差別が公然とはびこる社会。

縮まるどころか、広がる一方の格差。

少子化の影響で、パイがどんどん小さくなる経済。

ワカモノはワカモノで、自分の行動がどんな影響を与えるのかということを考える気配すらない。

マスコミの、政府与党べったりの姿勢は醜い。

知識人やNGOに至っては、自分たちよりもバカな人間、貧乏な人間を小馬鹿にしているとしか思えない。

希望は見当たらず、ひたすら重苦しい空気だけが漂っている。

個人的にいろいろストレスを抱えた結果、先月はとうとう記事を書けずじまい。

まあ、こんな弱小ブログの最新記事を、楽しみにしている奇特な人もいないだろうけどね。

さて、先月読んだ本の紹介。

10月に読んだ本の紹介より先になってしまったことを、当ブログを訪問してくれた人にお詫びしたい。

コミックは、いずれ改めて感想を書く(書けるのか?)。

青の数学

「数学」にとりつかれた高校生たちを取り巻く世界を扱った群像劇。テーマがテーマだけに、ここで繰り広げられる世界を理解できる人は、おそらく数学が好きな人、理系的な思考に長けている人に限られるだろう。世界観も文体も「わかる人だけついてくれればいい。わからないヤツのことは知らん」という雰囲気が滲み出ている。もっとも、この作品の「独特な文体」は、読書界から「クセが強い」と評価される「魔法科高校の劣等生」の作者が織りなすそれとは、次元が全くが異なる(理由はいうまでもない)。本作の登場人物の目標は「数学オリンピック出場」であり、そのために彼らは己の能力を最大限に振り絞る。1対1の決闘形式あり、タッグマッチの対戦ありという試合形式は、スポーツと何ら変わりない。ある少年は問う。「なぜ数学をするのか?」と。そもそも、この問いには正解というのがないのかも知れない。「マニュアル」という概念が隅々まで浸透したことで、人々は手軽に「正解」をほしがるようになった。だが彼らにとって「数学」とは「生き方」そのものなのだと思えるのである。「人生」に正解などないということを、作者は一番訴えたいのかもしれない。

社会学がわかる。

1996年に出版された、大学生向けの社会学入門書。「社会学とはなんぞや?」と聞かれたら、大人たちは何と答えるだろうか?「社会についての学問」と答えても、質問者はおそらく納得するまい。下手をすると堂々めぐりの禅問答のようになり、質問者と回答者の間に軋轢が生じることになる。すると、ある人は「お前だったら、どう回答するんだよ?」と突っ込んでくるに違いない。冒頭に出てくる25人は「学び方」について熱く語っても、多くの読者が求めているであろう「社会学とはなんぞや?」という質問には答えてくれない。その答えは、第二章にあたる項目をご覧いただきたい。女性の社会進出、医療問題、外国人の出稼ぎ、異文化交流、そして青少年が抱える問題。これらの問題は、20年以上前から再三にわたり指摘され論じられているにもかかわらず、解決に至る道筋が見えないと感じるのは私だけではあるまい。我が国おける社会学の第一人者・見田宗介氏は「社会学は『越境する知』である」と書いているように、現代社会を読み解くには、さまざまな角度からの知識が必要である。にもかかわらず、現在の社会学者たちは己の専門という名のタコツボに閉じこもっているのはなぜか?「海外社会学事情」の項目では、この学問の礎が「哲学」に基づいていることがわかるだろう。政治にしろ学問にしろ、今の日本が衰退しているように思えるのは、ひとえに日本人が「哲学」という概念を軽んじすぎたからでは?と思ってしまうのである。

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「2016年8月の読書リスト」

オリンピックと甲子園という、国内外のビッグスポーツイベントが終わり、今年も9月に入った。

まだまだ暑い日が続くが、日本、そして日本の政治は終わったような気がしてならない。

今回の参議院選挙と都知事選の結果を見て、極右・復古派はしめしめと思っているに違いない。もっとも後者については「保守分裂」という願ってもない好機を生かせなかった、野党陣営の作戦ミスも大きい。

右傾化する若者世代に一石を投じるべく結成された若者団体「SEALDs」の解散会見が、今年の終戦(敗戦)記念日に開かれた。

大学生が中心になって結成されたこの団体は「怒れる若者の代表」として、一躍マスコミの寵児になった。全国に関連団体ができたことで、同世代への影響を与えうる団体と見なす人たちも多かっただろう。参議院選挙の一人区における野党共闘は、彼らの存在なくしてはありえなかったのは確かだ。今回の参議院選挙から、投票権がこれまでの20歳から、18歳に引き下げられた。そこにSEALDsが登場したから、彼らの活動に刺激を受けた同世代が「反安倍」に1票を投じるのではないか?という見方もあったが…結果は、皆様ご承知の通りである。

はっきり言って、私は彼らが与える「影響力」とやらを疑問視していた。今の日本では「世間で名の通った大学の学生=文化資本の高い階層出身が多い」と思われがちである。実際、ボランティア活動に積極的に関わっている学生は、知力・資力において余裕のある学生が大勢を占める。おまけに今の大学生は、自分と似たような境遇の人間、同じような環境で育った人間としか付き合わない。まれに異世代と付き合う人たちもいるが、それは自分たちにとってメリットがあるからである。女子学生はこれが顕著で、自分たちにプラスになるかどうか、ちょっとした会話で瞬時に判断する。

そしてこれらの体質は、NGO関係者にもいえることである。会話した相手の知性並びに文化資本が、自分たちより明らかに低いとわかると、よそよそしい態度をとる人間の何と多いことか?「せっかくだから寸志・会費はちょうだいします。ですがあなた方の意見を聞く気はありません。黙って我々のやり方についてきてくれればいいのです」という不愉快極まりない感触を、私は何度も感じた。

それはSEALDsも同じこと。彼らがシンポジウムを開くというので彼らのHPを見た私は、その金額を見て、心の中で怒髪天をついた。入場料3,000円だと!

学生の多くは、将来に怯えながら生きている。学費を滞納しないか?奨学金を打ち切らたり、アルバイト先をクビにならないか?クビにならなくてもバイト先から不当な扱いを受けないか?無事に就職先が決まるか?卒業しても借金苦に陥らないか?食費をギリギリに切り詰めても、公共料金や家賃を滞納しないか、びくびくしながら生活している彼らにとって3,000円というのは、おいそれと払えない金額である。組織運営費、会場費がかかるのは理解できるとしても、この金額はいくら何でもぼったくりではないか!50代に近いわたしですら憤りを感じるのだから、同世代はなおさらだろう。

生活に苦しんでいる学生にとって、彼らの存在は「別世界の住人」「異星人」にしか見えないに違いない。こっちは日々の生活に追われ、料金や家賃滞納の恐怖に直面しているのに、彼らは何事もなかったかのように「戦争反対」「原発再稼働反対」と国会前で叫んでいる。生活や将来の心配をする必要のない人はうらやましいよねと、静かに冷たい視線を浴びていることを、SEALDs関係者とその支持者は理解しているのだろうか?

確かに今の「若者」にも、真剣に「脱原発」「戦争反対」を願っている学生もいるだろう。しかし大多数の若者は、そんなことよりも「真っ当な就職先」「格差対策と機会の均等」を強く求めているのである。今の若者は、心身とも疲れ切っており、社会問題に関わる余裕はない。SEALDsに限らず「左派」知識人並びにメディア化傾斜が、これらの問題をもっともっと取り上げ、彼らの意見に耳を傾ける姿勢を見せていたら、参議院選挙も都知事選も、違った結果になっていたはずである。

それでは、先月読んだ本の紹介である。

 

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モア・リポートの20年ー女たちの性を見つめて

1983年、世間に衝撃を与えた「モア・リポート」シリーズの最新データを集めた一冊。このアンケートは1980年、1987年、1999年の三回にわたって実施され、その時々の女性の「性」に関する意識の変化を克明にとらえてきた、貴重な記録である。1980年と1987年のアンケート結果は単行本にまとめられ、文庫化の際前者は2分冊、後者は3分冊で刊行されたが、1999年のアンケートは、新書版で刊行された。セックスの回数を掲載しているのだから「好きな体位」「イキやすい体位」もアンケートの項目に掲載して欲しかったと思うのは、私だけだろうか?1998年のアンケートでは、援助交際、テレクラ、不倫、セックスレスの概念が入り、女性たちの性に対する認識の変化が窺える。そして「イク」「オーガズム」という概念は、今も女性たちを苦しませている。本来SEXというのは、男と女の間で交わされる、愛情を深める手段のはずなのだが、そのことを理解しない男性が多い事実には、憤りを感じるのである。

モア・リポートは今世紀に入って1回行われた記憶があるが、その結果が書籍にまとめられた形跡はない。もうそろそろ、21世紀日本女性の「SEX」に対する認識を知りたいと思っているのだが。

アグネス白書

氷室冴子が遺した、少女小説の傑作の一つ。前作の「クララ白書」が中学校時代(正確には「中等部寄宿舎時代」だが)の話だが、今作は高等部寄宿舎「アグネス舎」が舞台である。

無事に徳心女子学園高等部に入学した「しーの」こと桂木しのぶ。彼女は平穏無事な寄宿舎生活を望んでいたはずなのだが、相変わらずトラブルの種は尽きない。高等部入学早々、外部からやってきた女子生徒の扱いに四苦八苦。さらに中学時代からの親友・マッキーの恋愛騒動に振り回され、その騒動がやっと決着がついたと思ったら、今度は自身の恋愛(と本人は思っていないが)問題が持ち上がる。始末の悪いことに、この問題には尊敬する上級生たちも絡み、誤解が重なったあげく、中等部時代からつきあいのある男子大学生との関係に亀裂が入る。関係修復に走るしーのだが、相手は完全にへそを曲げてしまった。普通の女子高生だったら、完全に精神が崩壊しておかしくない展開である。さて彼女は、この事態をどう打開していくのだろうか?

美術館の舞台裏 魅せる展覧会を作るには

丸の内にある落ち着いた雰囲気を持つ美術館である、三菱一号館美術館。同館の館長が書き綴る、日本の美術展と美術館の実態と現状。日本の美術館に対する公的援助が少ないことは、以前から重々承知していた。自前で用意できるコレクションに乏しく、海外にネットワークを張り巡らす新聞社・メディアの力なくしては、日本の美術館で海外芸術の展覧感を開催することは難しいのだ。そのことが、日本の美術館とメディアの関係に悪影響を及ぼし、日本に真っ当な美重点の評論が存在しないことを、筆者は心から憂えている。「寄付」と「寄贈」の違い、美術品を巡るドロドロの世界、美術品と光(太陽光、室内照明問わず)の関係…。「学芸員」の地位が、海外と日本とでは全く違うことに、驚く人も多いだろう。大学の講座で簡単に取得できる日本に対し、高度な試験を突破しないとその座につけない海外。自前で用意できるコレクションがない(少ない)が故に、日本独自で発展した様式が、海外の美術関係者から奇異の目で見られていることは、日本人美術愛好者の一人としては肩身が狭い。そしてここ数年の世界的不況で、海外の美術館も経済的苦境に陥っているのは、美術ファン、美術展覧会好きには気がかりな状況である。美術というのは、このまま「金持ちの道楽」になってしまうのだろうか。

アグネス白書パート2

「アグネス白書」の続編。筆者が大学時代を過ごした、札幌にあるカトリック系ミッションスクール「徳心女子学園」の寄宿舎を舞台にしている「クララ白書」「アグネス白書」シリーズだが、時系列でいえば、前者は中等部3年での中途入寮~中等部卒業まで、後者は高等部1年次に起きた出来事を取り上げている。なぜこの時系列にしたかどうか、今となっては確かめる術はない。個人的には、筆者にとってこの2年間は「暗黒時代」であり、自分が理想とする学生生活を送ってみたかったという願望を、少女小説という形で再現してみたのではないか?と思っている。個人的には女性は「魔物化け物の類い」であると思っている管理人だが(その理由は書くつもりはない)、同年代の女子の交流とは、かくもややこしいものであり、男が想像する以上に陰湿であり、そして理解不能だと嘆息せざるを得ない。そして本巻でも、主人公「しーの」は自分の力では難局を打開できず、相変わらず周囲の都合に振り回されっぱなしである。救いは、彼女には理解者と友人に恵まれているということ。これだけでも、彼女は十分に幸せ者だと思うのだが。

ハイキュー!!(7)

第6巻に引き続き、インターハイ宮城県予選3回戦、青葉城西との対戦の模様である。

正セッター、影山に変わって登場した菅原は、影山とはまた違ったトスワークで、相手を混乱させる。敵将から「日向以外のアタッカーの使い方がヘタクソ」だと見破られた影山だが、トスワークとリズムを読まれはじめた菅原に交代するかたちでコートに戻ると、今までとは違ったプレースタイルをとるようになる。彼の急激な心境の変化に、戸惑うチームメートたちが浮かべる表情がおかしい。影山が復調したおかげでチームは勢いを取り戻し、第2セットを奪って1-1のタイに。勝負がかかる最終セットも、とっては取り返しの展開を繰り返し…。

そのプレースタイルから、主人公サイドや読者から「ラスボス」と思われている及川。だが彼もまた「努力の人」だった。一見飄々としているが、彼もまた人に言えないトラウマを抱えているのだ。挫折経験のない人間はいない、みんな心の奥底に、何らかのコンプレックスを抱えている。それが一般人のレベルからすると、遙かに高いところにあるとしても。この作品が人気を集めているのは、登場人物の心の傷について、きっちりと描いているからだと思う。

カラヤンがクラシックを殺した

筆者の専門は20世紀を中心にした美術史と芸術学で、その方面では高い評価を得ている。

その筆者が「カラヤン」をテーマにしたクラシック音楽の本を書いたのは、専門分野である「20世紀の芸術」との関連性があったからだろう。だができあがったのは、難解であり、見苦しく、独りよがりな文体で彩られた、この上なく醜悪な「カラヤン批判本」だった。筆者は「カラヤンによって、クラシック音楽が持つ精神は堕落する方向に向かった」と主張するが、そのような音楽を受け入れたのは現代の聴衆である。カラヤンは彼らに受け入れられるように、自分が持っている美学を大衆にあわせてに過ぎない。非難されるべきは、彼にそのような美学を要求した聴衆であり、カラヤンではない。

筆者がカラヤンを嫌うのは勝手だが、このような主張がクラシック音楽のファンを買うのは当然であり、ネット上の評価が芳しいものでないのも宜なるかなと考える。

余談だが、筆者は本書を上梓してから約半年後に急逝した。今生きていたら、どんな音楽評論を書いていたのだろうか。彼の書いた哲学本、美術本をもっと読んでみたかった。

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2015年12月の読書リスト

当ブログを訪問してくれる皆様、明けましておめでとうございます。

このような無名ブログをいつも訪問していただき、いつもありがとうございます。

旧年中はお世話になりました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

・・・という時候の挨拶もはばかれるような暗い雰囲気ではじまろうとしている2016年である。

日ごとに家計を逼迫するエンゲル係数もさることながら、国内では有事法成立、国外では「イスラム国」の脅威、世界各地で収まる気配が見えない民族紛争など、争いの火種は世界中に広まりつつあるようで不安だ。市井の庶民にとって最大の不幸は、現在ほど発想の転換が必要だというのに、国内外の政治家が依然として「国家」という概念に凝り固まっていること。現代政治の世界こそ「グローバル化」という大きな視点が必要なのに、その概念は経済の世界だけに止まり、しかもそれが世界中で格差拡大と貧困層の増加をもたらすという現実に、多くの指導層が目をそらしている有様を、我々はどう受け止めればいいのか。

国内における反戦運動の動きも鈍い。大学の先生たちががんばっているのは認める。だが将来を担うであろう学生たちの動きが、SEALDsなどごく一部にとどまっていることに、多くの大学教員たちは一様に

「イベントを開催しても、参加者のほとんどは一般人ばかりで、肝心の学生はほとんど参加しない」

と嘆く。

学生の側から見れば、就職のことで頭がいっぱいで、そのことにまで気が回らないというのもあるだろう。だが私からいわせれば、これは大学教員の常日頃の言行が、学生の態度に重大な影響を及ぼしているのではないだろうか?と穿った見方をしてしまう。「日本の将来が危ない」といいつつ、教室内では学生に尊大な態度で振る舞う教員たち。そんな彼らに対し、教え子たちは

「いい気味だ」

「俺たちをバカにした報いだ」

と、冷ややかに見つめているに相違ない。世間で言うところの「一流大学」の学生ほどその傾向は顕著で、彼らの多くは

「俺たちはがんばって一流大学に入ったから、戦場に行く可能性を回避できた。いざ『開戦』になったら、戦場におもむくのは頭の悪い二流・三流大学の学生か、大学に行けない引きこもりだろう」

とでも思っているのだろう。もしそう思っているとしたら、本当にゾッとする世界観である。

という愚痴を言ったところで、精神的に楽になるわけではない。声高に「反戦」といわず「とりようでは世間にもそもそと異を唱える」やり方の方が、今の時代ではもっとも賢いのかも知れない。

というわけで、先月読んだ本の紹介である。

 

ハーバード大学は「音楽」で人を育てる──21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育ハーバード大学は「音楽」で人を育てる──21世紀の教養を創るアメリカのリベラル・アーツ教育

読了日:12月10日 著者:菅野恵理子
ウィッチクラフトワークス(9) (アフタヌーンKC)ウィッチクラフトワークス(9) (アフタヌーンKC)

読了日:12月16日 著者:水薙竜
進撃の巨人(18) (講談社コミックス)進撃の巨人(18) (講談社コミックス)

読了日:12月22日 著者:諫山創
赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1)赤と黒 (上) (光文社古典新訳文庫 Aス 1-1)

読了日:12月22日 著者:スタンダール
平和学の現在平和学の現在

読了日:12月28日 著者:

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「2015年11月の読書リスト」

あああ、今年も終わってしまう。

生活が楽になる見通しもない。もちろん、私みたいな生活力に乏しい「中年男子フリーター」みたいな人間に恋を囁く、奇特なオンナもありゃしない。

遊びたくても、オシャレをしたくても、はたまた諸々の活動をしたくても、先立つものがなければできないものである。

いやいや、仮に先立つものがあったとしても「頭が悪い」「いい年こいた人間である」というだけで、NGOだのいろんな活動から爪弾きされる人間は存在する。

SEALDsはじめいろんな「ワカモノ団体」が活動をしているが、彼らが「仲間」と認めているのは、自分と同世代の人間か、あるいは自分と同等、それ以上の能力を持っている人間だけである。これらの活動に興味を持っている人にご忠告。あまり能力がないのにこれらの活動に関わっても、ちっとも面白くない。意見を言っても他の会員からバカにされるのがオチだし、最悪会費だけ取られて、意見はまるで通らない、ということも大いにあり得る。

そんな私は、今年のクリスマスも「シングルベルで苦しみます」確定である。

さて、今月読んだ本の紹介。

コミックを1冊も読まなかったのはこれまであったかな?記憶にないのだが……

 

小澤征爾さんと、音楽について話をする (新潮文庫)小澤征爾さんと、音楽について話をする (新潮文庫)

読了日:11月11日 著者:小澤征爾,村上春樹
モア・リポートNOW〈1〉性を語る 33人の女性の現実 (集英社文庫)モア・リポートNOW〈1〉性を語る 33人の女性の現実 (集英社文庫)

読了日:11月12日 著者:
経済学がわかる。 (アエラムック (1))経済学がわかる。 (アエラムック (1))

読了日:11月19日 著者:
声優魂 (星海社新書)声優魂 (星海社新書)

読了日:11月20日 著者:大塚明夫
時空(とき)の旅人―とらえられたスクールバス〈前編〉 (ハルキ文庫)時空(とき)の旅人―とらえられたスクールバス〈前編〉 (ハルキ文庫)

読了日:11月26日 著者:眉村卓
モア・リポートNOW〈2〉女と男 愛とセックスの関係 (集英社文庫)モア・リポートNOW〈2〉女と男 愛とセックスの関係 (集英社文庫)

読了日:11月28日 著者:

小澤征爾さんと、音楽について話をする

小澤征爾と村上春樹という、クラシック音楽と文壇の巨人による対談集。「マーラー」「オペラ」「バーンスタイン」「グレン・グールド」というテーマについて、二人は縦横無尽に語り尽くす。あるときはレコードを聴きながら、あるときは村上の仕事場で。この二人にとって、バーンスタインの存在は大きいようだ。小澤征爾の若手音楽家に接する姿勢やリハーサルの仕方は、ほとんどバーンスタインのやり方をまねていると言っていいだろう。文庫化にあたり、日本を代表するジャズ・ピアニスト大西順子が、小澤指揮のサイトウ・キネン・オーケストラと2013年9月に共演したときの顛末が追加収録されている。 大西はこの公演の直前に引退を表明し。音楽とは関係ない仕事に就くことが決まっていた。ところがこの演奏を引き受けたことで、彼女はその仕事を断られてしまう。村上は淡々と事実をふり返るが、おそらく内心では、彼女ほどの実績を持つ人間が正当に評価されていないという憤りを感じているに違いない。

モア・リポートnow(1)性を語る33人の女性の現実

1980年・1981年に実施された「モア・リポート」の第二弾。1987年に実施されたアンケートには、13~61歳の1987人から回答が寄せられた。質問項目は47件と、前回よりは多いかな。影響を受けたものについて「モア・リポート」をあげる人をちらほらを見かけたのは、それだけ「モア・リポート」での質問項目が、社会に与えた影響が大きかったということなのだろうか。前回同様周囲の無理解、夫のSEXに不満を持つ女性が多数。第1回アンケートでも思ったが、女性も普通にオナニーをするのだな。それで普通に快楽を得ている人が多数いることを、世の男性はどれほど知っているのだろうか。この本を読んだあとに街中を闊歩している「キャリア女性」の姿を見ると、人知れずオナニーをしているのか?と邪な創造をしてしまう。こんな私は変態だろうか?「自分はお金のために結婚した」という女性が登場したのも、時代を感じさせる。====

経済学がわかる

1990年代~2000年代初頭に賭けて刊行された「AERAムック わかるシリーズ」の第1巻。折に触れて何度も何度も読み返しているが、読むたびに新しい知見を得られる本はそうそうない。この本はそんな一冊である。そして何度読み返しても最初に来る感想は「経済って、やっぱりわかりにくい」ということ。わかりにくいのも当然、現代経済学で頻繁に使われている言葉の大部分は、物理学で使われる用語が多いのだそうだ。そう考えれば現代経済の理論の多くも、物理と密接な関係がある数学の理論を使って分析される事象が多いことに納得できるだろう。こうなると経済学は「文系」?それとも「理系」?いいえ「文系」も「理系」もどちらからでもアプローチが可能な、立派な学際学であると考えただけでも、どこか胸がわくわくしませんか?今から20年前の第一線の経済学者が何を考えていたかを知りたい人にはお勧めしたい。もっともこの一冊で「経済学がわかる」ようにはならないのがつらいが(苦笑)

声優魂

声優界の大御所・大塚明夫が声優業界の現状及び、声優志望者に対する覚悟があるのかどうかを語った書。「声優だけはやめておけ」というキャッチコピーや、本書の中で延々と述べられる、自慢話が混じった説教にむかっと来る人も多いだろう。しかしここは目をつぶって30年以上にわたり、この業界で悪戦苦闘してきた彼の話にじっくりと耳を傾けて欲しい。この業界は「ハイリスク・ローリターン」であり、それ故腹が据わった、覚悟を持った人間以外は絶対のぞいてはいけない業界である事がわかるだろう。逆の見方をすれば、安直に対した努力をしないでスターになりたいと思っている「若手声優」や「自称『声優』」「声優の卵」に対する苦言と諫言が混じった一冊ともとれる。そして忘れてはならないのは「声優」も「俳優」なのだということ。「他人」を演じるということは、生半可な覚悟ではできないということなのだ。タイトルこそ「声優」という名がついているが、この本は一種の哲学論であり、人生論でもあるともいえる。本気で声優を目指したいのであれば、彼が吐く魂のこもった言葉の数々に耳を傾けて欲しい。

時空(とき)の旅人ーとらわれたスクールバスー(上巻)

日本を代表するSF作家眉村卓が1981~83年に発表した「とらわれたスクールバス」を、1986年にアニメ化する際に改題して再発行した作品。サイトに掲載されている写真は「ハルキ文庫」から発行された書籍だが、私が今手元にあるのは1980年代に角川文庫から発行された、萩尾望都がキャラクターデザインした表紙である。奥付を見ると「昭和61年発行」という懐かしい日付が。そう、この本はあの悪名高い「消費税」というのが存在しなかった時代に私が購入した本なのだ~…などと感興に浸っている場合じゃないなw

物語は22世紀からやってきたという少年が、主人公たちが通う学校のスクールバスにあやしげな装置を取り付け、これを操作するところからはじまる。彼はあることで当局から追われており、戦国時代に逃れるのだという。たまたまバスに乗り合わせていた生徒たちは少年の不遜な物言いに反発を覚えるが、彼と一緒に現代→戦時中→昭和15年→幕末と時間旅行をするうちに、奇妙な連帯感が目覚める。上巻に出てくる時代は、現代でいえば「空気を読まない人間は仲間はずれにするぞ」という雰囲気が強かった時代だが、これは少年が過去に逃げようとする原因である。さて、その理由とは?昭和15年からの時間旅行は、「危険思想の持ち主」として当局から指弾されていた社会学者が、彼らの指南役として加わる。彼らの時間旅行の行方はいかに?

モア・リポートnow(2)女と男 愛とセックスの関係

3分冊で文庫本化された「モア・リポートnow」の第二弾。前回のアンケートから7年経つが、夫・恋人のSEXについての不満は尽きることがない。「夫とのSEXより、それ以外との男性とのセックスの方が燃えるし気持ちがいい」という意見がある一方で、愛情に裏付けされたセックスを求める女性の声が目立つようになってきたこと。そして前回はわりと興味本位でセックスの話題を取り上げたが、今回のアンケートでは、社会学的な視座から「男と女」「愛とSEXの関係」を考察しようという視点が見られること。その心意気は立派だとは思うが、見方によっては編集死の主観的な視点が混ざっていると思われるところも見られる。あなたはSEXに「愛情は必要」だと思いますか?因みに、管理人は別に愛情がなくてもSEXはできると思っているは。理由は、「愛」だけでは生活が成り立たないと思っているから。こんな私は異常だろうか?

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