「2016年11月の読書リスト」

今年も、カレンダーが残り1枚になってしまった。

こんなにわくわくしない年末年始は経験がない。

右傾化し、人種差別が公然とはびこる社会。

縮まるどころか、広がる一方の格差。

少子化の影響で、パイがどんどん小さくなる経済。

ワカモノはワカモノで、自分の行動がどんな影響を与えるのかということを考える気配すらない。

マスコミの、政府与党べったりの姿勢は醜い。

知識人やNGOに至っては、自分たちよりもバカな人間、貧乏な人間を小馬鹿にしているとしか思えない。

希望は見当たらず、ひたすら重苦しい空気だけが漂っている。

個人的にいろいろストレスを抱えた結果、先月はとうとう記事を書けずじまい。

まあ、こんな弱小ブログの最新記事を、楽しみにしている奇特な人もいないだろうけどね。

さて、先月読んだ本の紹介。

10月に読んだ本の紹介より先になってしまったことを、当ブログを訪問してくれた人にお詫びしたい。

コミックは、いずれ改めて感想を書く(書けるのか?)。

青の数学

「数学」にとりつかれた高校生たちを取り巻く世界を扱った群像劇。テーマがテーマだけに、ここで繰り広げられる世界を理解できる人は、おそらく数学が好きな人、理系的な思考に長けている人に限られるだろう。世界観も文体も「わかる人だけついてくれればいい。わからないヤツのことは知らん」という雰囲気が滲み出ている。もっとも、この作品の「独特な文体」は、読書界から「クセが強い」と評価される「魔法科高校の劣等生」の作者が織りなすそれとは、次元が全くが異なる(理由はいうまでもない)。本作の登場人物の目標は「数学オリンピック出場」であり、そのために彼らは己の能力を最大限に振り絞る。1対1の決闘形式あり、タッグマッチの対戦ありという試合形式は、スポーツと何ら変わりない。ある少年は問う。「なぜ数学をするのか?」と。そもそも、この問いには正解というのがないのかも知れない。「マニュアル」という概念が隅々まで浸透したことで、人々は手軽に「正解」をほしがるようになった。だが彼らにとって「数学」とは「生き方」そのものなのだと思えるのである。「人生」に正解などないということを、作者は一番訴えたいのかもしれない。

社会学がわかる。

1996年に出版された、大学生向けの社会学入門書。「社会学とはなんぞや?」と聞かれたら、大人たちは何と答えるだろうか?「社会についての学問」と答えても、質問者はおそらく納得するまい。下手をすると堂々めぐりの禅問答のようになり、質問者と回答者の間に軋轢が生じることになる。すると、ある人は「お前だったら、どう回答するんだよ?」と突っ込んでくるに違いない。冒頭に出てくる25人は「学び方」について熱く語っても、多くの読者が求めているであろう「社会学とはなんぞや?」という質問には答えてくれない。その答えは、第二章にあたる項目をご覧いただきたい。女性の社会進出、医療問題、外国人の出稼ぎ、異文化交流、そして青少年が抱える問題。これらの問題は、20年以上前から再三にわたり指摘され論じられているにもかかわらず、解決に至る道筋が見えないと感じるのは私だけではあるまい。我が国おける社会学の第一人者・見田宗介氏は「社会学は『越境する知』である」と書いているように、現代社会を読み解くには、さまざまな角度からの知識が必要である。にもかかわらず、現在の社会学者たちは己の専門という名のタコツボに閉じこもっているのはなぜか?「海外社会学事情」の項目では、この学問の礎が「哲学」に基づいていることがわかるだろう。政治にしろ学問にしろ、今の日本が衰退しているように思えるのは、ひとえに日本人が「哲学」という概念を軽んじすぎたからでは?と思ってしまうのである。

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この本が出てから7年経つが、生活保護者の状況は当時より悪くなっているのはなぜなのだろう?

著者 :
明石書店
発売日 : 2008-09-30

2008年3月29日、東京都内のとある公立中学校で「貧困撲滅」を訴えるシンポジウムが開催された。このシンポジウムに参加したのは、ワーキングプアやサラ金で苦しむ人たちの救援団体、労組、婦人団体など総勢90を超える団体と、1,600人を超える参加者たち。この本は、そのシンポジウムの様子を収録した本である。

「貧困」と聞いて、まず頭に思い浮かぶのは「生活保護」制度だが、この本を読むと、生活保護受給者に冷ややかな目線を向けているのは日本だけで、海外では「苦しくなったら、生活保護に頼るのは当たり前」という意識が常識になっていることがわかる。日本における「生活保護」のあり方は、海外メディア関係者には異様に感じられるということが、冒頭に掲載されている、海外メディア特派員の討論会で明らかになる。

「生活保護」制度は、困窮者にとって最後の頼みの綱なのだが、生活保護受給者を諦めさせようとする「水際作戦」が、こともあろうに実際は役所・福祉事務所により実施され、それを阻止しようとする団体NGO側が行使するケースが多発している。実際に需給にこぎつけても、役所からあれこれ言われるケースも多い。年末年始の「年越し派遣村」運動のおかげで、派遣切りをされた人たちに対し、以前よりは生活保護需給がしやすくなったという報道もされているが、ほとぼりが冷めればまた「水際作戦」が復活するのではないかと、運動関係者は危惧している。

さらにこの本では「貧困問題」が、教育や徴税業務の面にも深刻な影響を及ぼしているということを明らかにする。貧困家庭では、必要最低限の学費を払えず高校進学をあきらめてしまうケースが多いという。福祉児童手当が削減される傾向にあるからだ。民間のボランティアが、貧困家庭の自動の高校進学をかなえようとサポートしているが、それでも彼らの将来は険しい。

徴税業務においても、サラ金の取立てと違わないほどのケースが目立つという実態が明らかになる。深刻化する不況による売上不振で、税を滞納する個人商店が急増しているが、国税徴収法や地方税法では、生活を破壊するような滞納処分や差し押さえを禁止する規定がある。しかしこの規定も先ほど触れた「水際作戦」同様、実際は守られていないケースが多いそうだ。小泉内閣が推進した「三位一体の改革」における地方交付税が削減された結果、税収不足を補うために地方自治体当局が、税金滞納分の分割納付を認めなくなったからである。各種控除が廃止され、生活が立ち行かなくなっているにもかかわらず、である。====また、この本では消費税の正体についても明かされている。消費税は売上金の5%を徴収するのだが、消費税法では、輸出分についてはこの税金は課税対象外とされている。また企業の総仕入は非課税とされているが、大企業の多くは人件費を外注分として計上しているため、その分には消費税が課税対象とならないというのである。財界が「消費税値上げ」を叫ぶのは、こういう理由があるからだということが、このシンポジウムで明らかになるのだが、この点を指摘するメディアは皆無である。

最後に、労働組合関係者による討論会の様子が収録されている。連合全労連傘下のフリーター労組、独立系のフリーター労組が参加したこのシンポジウムで、この問題はもはやイデオロギーを超えたものになっているということが認識されるのだが、 残念ながら連合本体内部から、このシンポに参加したことに対する批判の声が多数上がったという。連合傘下の有力労組幹部の中には「われわれは『年越し派遣村』みたいなことはやらない」とはっきり言い切る者もいる。しかし連合傘下の電機労連所属の一部労組は、派遣切りにあった労働者のためにカンパを募るところも出てきているなど、組合によって対応に温度差があるのが残念だ。

シンポを企画し、この本を編集した「反貧困ネットワーク」は、分野と政治的スタンスを超えたつながりを作ることを趣旨として活動するが、このシンポに参加した団体は労組・生活保護支援団体を始め、医療支援団体、教育など広範囲に広がっている。

この本を読んで、日本の「貧困問題」がどんな問題を抱え、具体的にどのようにすればよいのかを理解してくれることを切に願う。

ここまでが、前のブログに書いたときの文章である。この書評を書いてからかれこれ7年経つが、生活保護受給者が置かれた状況は、当時に比べて格段に悪くなっているというのが実態である。

生活保護受給者に大打撃を与えたのは、2012年4月に発覚した生活保護受給問題である。これはとある芸人が、扶養能力があるにもかかわらず母親に生活援助をせず、母親は15年間も生活保護を受給していた。ところがこの事態をとある国会議員が国会で取り上げ、マスコミがセンセーショナルにこの問題を取り上げたことで「生活保護受給者バッシング」が起こった。もともと生活保護制度は、財政的に頼れる人がいない人のための最後の手段だったが、このことがきっかけで生活保護法は「改悪」された。具体的には、保護受給対象者は親戚全員で対象者の面倒を見るようにし、それができない場合に限って「受給対象」になる制度になったのである。制度が改悪される前は、受給が決定すると住んでいる自治体担当部署から、当座に必要な食料品などが送付された。またまじめに就労したり、就職活動をしている受給者に対しては、夏季・冬期に「ボーナス」という形で臨時給付があり、これは受給者にとっては大変役に立っていたのだが、開成を期にこの制度が廃止されたばかりか、月々の受給額も減らされ、今年(2015年)になってからは住宅手当も減額された。心ある担当者は、この制度改悪に反発しているが、この声が為政者には届かない。「生活保護受給者バッシング」では大々的に報道したメディアも、この問題に関してはほとんど触れることはない。

当時の報道では「雇い止め」という言葉がしきりに使われたが、なぜメディアは「勤務先を解雇された」と書かないのか、不思議でならなかった。今から考えるに、派遣労働者を雇用していた会社の多くは、メディアの大スポンサーだから、彼らも大企業のことを悪く書けないのだろう。というより、記者と大企業関係者には大学の同級生というケースが多いのだ。だから企業に入った人間はメディアにちょっとした圧力をかけられるだろうし、メディアに入社した人間も「自己規制」するようになる…とウダウダ書いているが、ようは企業もメディアも、自分より立場の弱い人間のことを考えていないのだろう、と思ってみたりしている。

先述の通り生活保護受給者バッシングが吹き荒れたが、実際の不正受給者は数%に過ぎない。一部の不正利用者のために、多くの真っ当な利用者が白眼視されるのはたまらない。バッシングといいボーナス廃止といい、多くのまじめな受給者を虐げるのはいかがなものか?「貯金しろ」と福祉事務所はいうが、正社員ですら貯金できないほどの安月給で、過労死寸前までこき使われている現状を、誰も厳しく指摘しないことの方が異常なのだが。

ああ、つくづく貧乏が憎い。

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「非戦」

あの忌まわしい出来事から10年以上たつというのに、現在は「過去から学ぶ」ことをやめたかのように、同じような出来事を繰り返そうとしている。

著者 : 坂本龍一
幻冬舎
発売日 : 2001-12-20

2001年暮れ、チョムスキーのインタビュー集「9・11-アメリカに報復する資格はない」とほぼ同じ時期に出版され、一躍大ベストセラーになったのがこの本である。

坂本龍一が

「あの日の空の青さとともに、人類はとうとう『パンドラの箱』を開けてしまったのか、という腰のなえるような恐ろしさを、ぼくは一生忘れることができないだろう」

と「あとがき」のなかで触れているとおり、「2001年9月11日」は世界中の人にとって、一生涯忘れることのできない事件である。世界貿易センタービルに旅客機が突っ込むなど、いったい誰が予想し得ただろうか?しかもテロ組織の飛行機はペンタゴン(アメリカ国防総省)にも突っ込み、全壊は免れたとはいえ、一歩間違えれば全世界中は地獄のどん底に突き落とされただろう。ブッシュが声明を出したのは事件発生から6時間後で、しかもその間の所在がいまだに不明であることから、一部では

「ブッシュは、これらの事態をあらかじめ知っていたのではないか」

とまで囁かれ、それを裏付ける証拠めいたものがネット上に流れた。だがその後は、この事実を深く突っ込むマスコミも人間もいなくなったのはなぜか?真相はいまだに藪の中である。

近年、平和運動が停滞していたというのは事実だ。日米ガイドライン(周辺事態法という名前でごまかされているが、アメリカでは明確に「戦争マニュアル」と呼んでいる)が制定された時ですら、反対運動は盛り上がりを欠いていた。世間一般には「平和平和と叫んでいれば、世界は平和になるのか」というさめた意見や、「現実問題として、 軍事力がなければ平和は保てない」という意見が満ちあふれ、平和運動団体側もこれらに対する有効な対案を提示できず、結果として国内の平和運動は閉塞状態に陥っていた。そう、少なくても日本国内においては。====

そんな空気も「9・11」で一変する。事件が起きた当初、原因や犯行集団に関してさまざまな揣摩憶測が流れた。テロの首謀者についてはビンラディン一派率いるテロ集団「アルカイダ」の犯行だといわれてきたが、本当に彼らがやったことなのか、事件が起きてから1年近く経過したが決定的な証拠が出てこない(2001年当時)。事故から少し立って、イギリス政府がビンラディン一派の犯行だと発表したが、イギリスのマスコミはこれについても異議を唱え、辛辣に酷評していることは、この本に収録されている「2001年9月11日 米国におけるテロ残虐行為の責任者」の解説(星川淳氏)を見ても、それは明らかである。にもかかわら ずブッシュ大統領は「これは戦争だ」と叫び、「我々の側につくか、それともテロリストの側につくか」と言うセリフで二者択一を迫った。国内外のマスコミも戦争ムード一色になり、いつどんな形でアメリカがビンラディン一派に宣戦布告するのか、興味はその一点に絞られるような報道スタンスをとる新聞社も出てくる始末だった。

しかし日本国内はむろんのこと、全世界中において「戦争だけで本当に平和が訪れるのか?すべての問題が解決するのか?」という思いがネット上の世界に 急速に広まっていく。それが現実世界に置いても行動が具体化し、テロの背景やいまだに解消されない南北問題について深く知ろうという動きも徐々に増していく。日本国内で広がった「平和」への思いはやがて平和を求める市民ネットワーク「CHANCE!」に結実する。今までの平和運動はとかくイデオロギー論争になりがちだったが、この事件をきっかけにして右派・左派がお互いの垣根を乗り越え、国内の平和運動が一つになった。その動きは10月のアフガン「報復空爆戦争」が始まるにつれて、ますます盛んになっていく。国内外でも、従来の平和運動のイメージにとらわれない、新しい感覚を持った団体が続々と生まれる。 インターネット上でお互いに情報を交換し、時には意見を戦わせ、そして行動に移していく。「ピースウォーク」(といっても、その内実は「デモ」なんだけどね)という、新しい行動様式の誕生はこうしてうま れた。

これは従来のデモとは一線を画したもので、この行動は誰でも気軽に参加できるようにと、イデオロギー色をなくしていることに特徴がある。1回もデモ行進に参加したことがないという人が多数参加している事からも、それは明らかだ。これまで平和運動やデモ行進に興味も関心もなく、むしろそれらの活動 に対して反発を感じていた人間をも巻き込むことに成功した。

それと並行して、一冊の本を作ろうというプロジェクトが立ち上がる。坂本龍一もあとがきで触れているように、ほとんど顔を合わせたことのない人間が1日 平均250通のメールを交換しながら編集作業を行った。Webからの情報を頼りに筆者をたどり、転載許可を求め、翻訳をし、新たに原稿を書き下ろしても らう。編集作業が決して順調に進まなかったということは、坂本の

「思わぬ反発に出会ったりする……(中略)……たくさんの筆者の論考を一つの本にまとめる 難しさを知る」

という一文からも、さまざまな葛藤をかいま見ることができる。

立ち上げから出版まで3ヶ月足らずだったにもかかわらず、国内外約50名の著名人がこの本にメッセージ・論考を寄せてくれた。400pを越える大著故、 ここではそれぞれの論者についての感想はあえて書かない。人によっては、これは収録するに値するのかと思われるのもあるかもしれない。だが一ついえること は、この本には世界中の人たちの平和に対する熱い思いが込められている、ということである。作家、音楽家、NGO職員、学者などさまざまな立場を乗り越え、平和について語っている本というのは、なかなかお目にかかれないだろう。収録されたメッセージの中には、ネット上で広がったものも多数ある。一つ残念なのは、この本にメッセージ・論考を寄せた人間の中に、日本の政治家が誰もいなかったということ。個人的には、辻元清美にメッセージを寄せてほしかったな と思っているのだが。

編集チームの名前になった「sustainabillity for peace」とは、「平和のための持続可能性」という意味である。そのためには我々には何ができるのか、読者には真剣に考えてほしいと同時に、筆者達の

「人を殺すな」

「生き物を自分の利益のために殺すな」

「子供たちの生きる権利を奪うな」

という思いを感じ取ってほしい。と同時に「戦争が答えではない」ということも知ってほしい。

この本を読んで、「非戦」という希望が、人々の間に広がっていくことを切に願う。

なお、この本の印税は全額アフガニスタンに寄付され、同国の復興資金の一助となることが決定している。

という文章を、私は当時運営していたHPに掲載した。「CHANCE!」の運動が盛んだった頃は

「これで『左右対立』といった、不毛なイデオロギー論争が終結する」

と本気で思っていた。しかし…

不毛でどうでもいいことがきっかけで、この運動は旧来の「活動家」達によって、すべてメチャクチャにされてしまった。

「活動家達」の不愉快な体質は、昔も今も変わらない。

気づいたところで、彼らが耳を傾ける可能性はほぼゼロだから何も変わらない。

私は長年NGO活動に関わり、かつ支援してきたが、それでわかったことは

「所詮NGO活動は、頭のいい人、裕福な者同士のための出会いの手段に過ぎない」

という、厳然たる事実だった。

NGO団体で活動している若い人を見ると、彼らは自分たちと同じ世代同士でつながりたがり、積極的に異世代と交流しようとしない。仮に交流したとしても、それは自分たちの得になる人としか付き合わない。こちらがどんなに彼らのほしがる情報を紹介したとしても、彼らは自分たちより頭が悪いか貧乏だと、とたんに小馬鹿にした態度をとるのが常だ。

「お金は欲しい。でも意見は聞くつもりはない。仲良くしましょう?冗談でしょ?」

そんな対応を何度となくとられていたら、こちらだっていい加減イヤになってくる。

「都心在住の知的エリートの、都心在住の知的エリートによる、都心在住の知的エリートにアピールするための活動」

それが、今の日本のNGOの実態である。

「外国の貧困撲滅」を訴えながら「国内の貧困撲滅・格差解消」に関心を持たない人たち。

「戦争反対」を訴えながら「脱原発」「格差解消」を求める意見に耳を傾けない人たち。

「人権擁護」を訴えながら「犯罪犠牲者」の人権擁護には消極的な人たち。

そんな事実に気がつかず、今までずっとこの世界に身を置いてきた自分が情けなくなってくる。

この国にいつまでも、NGOの精神が根付かないわけだ…

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2014年2月の読書リスト

貧乏なのに

ただでさえ本を置く場所がなくて、家族から文句をいわれているのに

本屋の世界が大好きだから困ってしまう。

お目当ての本があって書店に立ち寄っても、次から次へと

洪水のように出版される新刊書に目がくらみ

結果として別の本を買ってしまうというのは毎度のこと。

この読書メーターに登録された「読みたい!」という本はいつの間にかに2,000冊を突破した。

実際にはこれだけの本を読めるわけがないし、読めたところで理解できるかどうかも怪しい。

それ以前に、置くスペースの問題があるんだけどね。

天野祐吉のCM天気図 傑作選―経済大国から「別品」の国へ天野祐吉のCM天気図 傑作選―経済大国から「別品」の国へ

読了日:2月4日 著者:天野祐吉
名門高校人脈 (光文社新書)名門高校人脈 (光文社新書)

読了日:2月19日 著者:鈴木隆祐
館林発フェアトレード―地域から発信する国際協力館林発フェアトレード―地域から発信する国際協力

読了日:2月24日 著者:東洋大学国際地域学部子島ゼミ
DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2014年 03月号 [雑誌]DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2014年 03月号 [雑誌]

読了日:2月28日 著者:
ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)ルポ 貧困大国アメリカ (岩波新書)

読了日:2月28日 著者:堤未果

読書メーター

.天野祐吉のCM天気図 傑作選―経済大国から「別品」の国へ

昨年10月に惜しまれつつ亡くなった、元「広告時評」代表・天野祐吉氏が、朝日新聞に約30年間連載した同名の名物コラムの傑作選である。全部読んでみて、このコラムに掲載されたコラムを全部読んでみたいなと思った。一部の抜粋だけを纏めるなんてもったいない。

すべてのコラムに共通しているのは、弱者へ向けるまなざしの優しさ。そして権力への辛辣な視線。

興味深いのは、2008年以降のコラムの字数が、開始時に比べてかなり減っていることが目立つこと。

その理由はいったい何だったのだろう?

余談だが「広告時評」で長年にわたってコンビを組んだ島森路子が闘病生活に入ったからだそうだ。このコンビがこの世で見られないというのが悲しい。同じ年に天に召されたというのは、何かの因縁か?

名門高校人脈

文字通り、各都道府県に所在している国公私立高校出身者の記録をまとめた本である。

本文を読むと「へえ、あの有名人はこの学校を出ているのか」とびっくりするところもあるがそれだけのことであり、その著名人が在学中、どんな生徒であったのかを触れている記事はさほど多くない。校風についても、地元の人が見たら「そんなこと、誰でも知っているわ」という程度でしかない。

著者によれば、この本を書こうとするきっかけになったのは「どの大学を出たか、よりも、どの高校を出たか、を知るほうが、その人の「人となり」がわかるような気がしたからだという。何よりも、あれだけの参考文献を参照しながら、著者が書いた文章はこの程度だったのか?あとがきに「名門には、優秀な人材が集まる」とあるのなら、なぜ「優秀な人材が集まる」のか、それを解明するのもライターの仕事ではないだろうか?

ただし、この学校に収録されている「名門高校」の中には、進学面において他校から大きく引き離され、すっかり落ちぶれている学校も多々存在することを付け加えておく。そう、この本で収録されている「名門高校」とは進学面で実績を上げている(あげていた)学校「限定」である。職業教育で実績を上げている「名門高校」も多々存在するのだから、そちらも取り上げなければ不公平というものだろう。====

館林発フェアトレード―地域から発信する国際協力

東洋大学国際地域学部の子島(ねじま)ゼミが、群馬県にある東洋大学板倉キャンパスを拠点にして展開したフェアトレード活動の記録をまとめたものである。原稿作成には子島教授(本書執筆当時は「准教授」)を中心に、原稿作成には2009年に同ゼミ所属の学生7名も参加している。余談になるが、当時の所属学生の一人(女性)は、私のリアル知人である。

「フェアトレード」とは「公正(FAIR)な貿易(TRADE)」を目指すNGO活動のひとつであり、日本のNGOではシャプラニールなど国際支援系NGOの多くが、これらの活動に関わっている。「発展途上国」の、とある地域の「特産物」を「妥当」な(つまり、その地域の住民の生活が成り立つ)値段で買い上げ、先進国の市民に販売するという活動で、日本でもそのためのネットワークがいくつか存在し(代表的なネットワークはこちら)、毎年春には定期総会・学会が開催されている。この本には、日本国内で「フェアトレード」の精神を根付かせようと奮闘する、学生の活動の記録記載されている。

日本で「フェアトレード」が普及しないのはいくつかの要因が挙げられるが、最大の問題なのは、大学で学んだことが、一般社会に還元されないことであろう。実際に私の知人も、留学経験があるなど高度な語学力を持つにもかかわらず、卒業後は、学んだことを全く生かせない仕事をしている。大学生の就職難が叫ばれて久しいが、学んだことが生かせる職場が増えない限り、大学生の就職問題は解決しないだろう。私の知人は「この大学は、優秀な人材をムダにしている」と嘆いていたが、私もその意見に同意する。

DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2014年 03月号

今月号の目玉特集は「3年目の福島」。あの大震災から3年たった福島が、今どうなっているかを報道している。「ゼロ地点」は建物の崩落危機が一段と募り、いつ何が起きてもおかしくない状態であり、食べ物についても、気にする人とそうでない人の格差が広がっている。母親たちは地域内のホットスポット探索活動を続け、安全な食材調達に奔走する。その過程で家庭が、親族が、そして地域が分断され、支援者たちは心を病む。事実と正義を唱えるものが、多数派から疎外され、孤立する不条理。だが安倍政権は、これだけの危機的な状況にも、原発推進の姿勢を改めず、あろう事か、日本の不完全な原発技術を海外に輸出しようと目論む。後半の特集は、シリア内戦と南シナ海を巡る領有権争い。どちらにも共通しているのは、理研と資源に目がくらんだ人間に泣かされる無辜の民がいること。

ルポ 貧困大国アメリカ

こちらについては、既に別記事で掲載したので、あえてこちらでは触れない。この本の続きとして、作者はいくつかの本を出版しており、それらはすべてベストセラーになっている。本書が出版されてからかれこれ6年近くたち、政権交代もあったが、アメリカの現状がよくなったように見えないのは、為政者の考えていることは同じからだと思わざるを得ない。

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生まれて初めて「ホームページ」なるものを作り

生まれて初めて「書評」なるものを書いた、記念すべき第一作目。

それをそのまま転載します。

平和文化
発売日:1991-03

 出版日を見てもわかるように、これは今から10年以上前に出版されたものである。また、肩書きも当時のものであるということをあらかじめお断りしておきたい。ひょっとしたら、絶版になっているかもしれない。

 管理人はクルーズからの帰国後、ある会合で再会した伊藤教授から手に入れた。この本を読んで、各論者達の平和教育に関する熱い思いを感じることができた。

 1991年といえば、戦後まもなく発生した東西冷戦が1989年に終止符を打ち、やっと世界中が待ち望んだ平和がやってくると思ったのもつかの間、翌年発生したイラクのクゥエート侵攻がきっかけになって湾岸戦争が発生し、その戦争もアメリカの勝利に終わってアメリカの一極支配が始まろうというという時だった。

 アジアでは長年続いたカンボジア内戦がようやく終結し、日本が自衛隊を派遣するかどうかでスッタモンダあげくにPKO法案が成立し、自衛隊の海外派遣に道を開いたのもこの年の出来事である。今年(2002年)にアフガニスタン復興会議が開かれ、各国が支援金額を決めたのだが、この先駆けとなったのはカンボジア復興会議だったということは以外と知られていないのかもしれない。この本が出版された時代背景として、このことを頭に入れておいた方がいいかもしれない。====

 まず気がつくのは、平和学というのはありとあらゆる分野から成り立っているということである。そして、昨今平和学で盛んに語られている「構造的暴力」という言葉は、ノルウェーの平和学の泰斗ヨハン・ガルトゥングによってこの頃から提唱されているというのは驚きである。

 構造的暴力というのは、食料の分配の偏りからくる飢餓、有効な治療法が確立されていながら、医療が行きわたらないために結核等によって落命するする人々の存在、経済的・社会的格差に起因する諸問題、人種・性別・民族・出自などにまつわる様々な差別、環境破壊が引き起こす様々な被害など、不条理な苦痛を強いられて自己表現を阻まれ、その意味で暴力が存在しているにもかかわらず加害者が特定できない状態のことである。戦争・紛争だけでなく、これら「構造的暴力」を克服することなしに真の平和はあり得ないというのがガルトゥングの主張である。そのためには経済的・社会的格差の問題、被差別少数者・集団を巡る問題、公害・環境破壊問題など、現実におこっている構造的暴力の解明に努めなくてはならず、そのためには幅広い分野を学ばなくてはいけないのである。第5章でそのことを取り上げられている。当時四国学院大学(香川県)でそのような試みが行われていたのは驚きだが、言い出しっぺである岡本三夫氏(現:広島修道大学教授)、横山正樹(現:フェリス女学院大学教授)が去ってからは、同大学に「国際平和学コース」がなくなってしまったのは残念である。カリキュラム抜粋を見ると、当然の事ながら国際関係の科目にウェートが置かれているが、’80年代に南米で盛んだった「開放の神学」、当時としては最新の学説だった「マイノリティー論」「フェミニズム論」などが扱われているのがユニークである。また平和学特講の中には「ガンディーの思想」が取り上げられている。これは、ガンディーの「非暴力思想」を研究するためのものだろうと思われる。また学校内の座学にとどまらず、「国際平和学研修」という科目を設けて、実際に現地を訪れて生徒の目で確かめようという活動も行っていた。この活動は明治学院大学の国際学部にも受け継がれているようだ。

 最近は各NGO団体も「スタディーツアー」と称して、現地の実情を見てもらおうという活動が活発だ。ピースボートの成功がきっかけになったのか、各NGO団体も自分たちの主張を知ってもらうだけでなく、現地に連れて行って興味のある人

と、現地の人との交流と相互理解を深めようという企画も増えてきた。四国学院大学の試みも、狙いはそういうところにあるのではないかと思う。

 第6章、第8章、第9章では理系の分野からの平和教育が取り上げられている。この本が書かれた当時はオカルトや超魔術がブームの時代で、科学の分野から見るとそういうのはあり得ないと言うことを理解させるために苦労した形跡が、この本から見て取れる。「超魔術」を社会における「不合理」に見立てている点が、いかにも理屈を重視する理系の研究者らしい。特に第6章ではこれが顕著である。理系からのアプローチということで、やはり避けられないのが核兵器だが、必ずしも講師の一方的な話だけでなく、学生の感想を聞くなどコミュニケーションを取りながら授業を進めているというのがわかる。

 最終章では学生生協における平和運動の試みがあげられている。キーワードは「連帯」、それも緩やかな「連帯」ある。従来の平和運動は堅苦しく、しかもやたらと感情的な部分が目立ち、それが「平和運動」に対する嫌悪感を持っていた人間も多かったのではないか?平和運動というとあのシュピレヒコールというのがイヤだ、さも俺たちは正しいんだという態度をとっているからイヤだという意見が目についたのだが、’80年代後半からは従来の形とまた違った、新しい形の平和運動をやっていこうという動きが少しずつ目立ってきた。今ではChance!などに代表されるように「立場を乗り越え、自分たちにできる形で平和を訴えていこうというのが大多数だが、その新しい息吹が今から10年以上前にあったということは驚きである。

 にもかかわらず私の目から見て、’90年代前半は平和運動は停滞気味だったようなような気がしてならないのである。だがインターネットが積極的に市民運動の世界に取り込まれるようになって、市民運動は徐々に息を吹き返した。’99年のハーグ国際会議の成功、そしてハーグ平和アピールに日本国平和憲法第9条の精神が盛り込まれ、新しいプロジェクトが続々と立ち上げられられている。「国際平和旅団(PBI)」の精神を盛り込んだ「国際非暴力平和隊」、「ハーグ平和教育キャンペーン」などであり、ユネスコも「平和の文化」プロジェクトを立ち上げた。そして「9・11」以降、平和を求める声はますます高まっている。今はただ「平和」を訴えるだけでなく、平時から教育等を通じて平和について考えていこう、貧困を撲滅するためには、調和のとれた発展とはどういう事かについて考える人間も増えてきた。アフガン復興とその復興会議でNGOが重要なファクターになっているのはは誰の目にも明らかだ。

 この本は、「平和学」について様々な分野から考えるにはぴったりの本だと思う。

 最後に、以下の文章を引いて幕にしたい。

 「好きなもの、たくさんの木々や花、川、そしてすべての人間を苦しい目にあわせるものは許さない。たくさんの命や、これから出会う人々、景色を、可能性を信じている」







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